こんにちは。
私は、6年間作業療法士として、老人保健施設(いわゆる老人ホーム)で働いていました。
認知症の方が9割以上を占める、老人ホームでした。
また、認知症の方が9割以上を占める老人ホームにも入ることが出来ない、認知症の症状が深刻な状態の方が入院する、認知症治療病棟でも仕事をしていました。
現在は、私自身が、難病になったために、仕事を退職し自身の治療をしています。
作業療法士として、6年間、認知症の方に携わる中で、長谷川式スケールを多く使ってきました。
以前から、長谷川式スケールを作られた、長谷川先生が認知症になられたことは職場でも話題になっていました。
今回、NHKスペシャルで番組になったことで、多くの方が、認知症や長谷川式スケールのことについて、関心を持たれたのだとTwitterで知りました。
今回の、NHKスペシャルは見ていないのですが、認知症や病気になってもその人らしく生きることについて、たくさん考えてかかわりを持ってきたので、自分の考えを発信したいと思い、ブログを書くことにしました。
これからは、高齢化社会となり、認知症になる方が増えるでしょう。
認知症になるまで長生きできる方も、増えていくでしょう。
認知症の方を支える家族の方も、在宅で暮らす方も増えてくでしょう。
1人でも、認知症に関して、理解や知識を深めてくださる方がいればいいなと思います。
今回は、140文字のツイッターには書ききれなかったので、作業療法士として働いていた私が思うことを綴ります。
目次
認知症ってどんなイメージなのか
認知症ってどんなイメージでしょうか。
大学や、作業療法士になるための実習先で認知症や認知機能の低下した方にかかわりを持ったり勉強したりしてきました。
認知症のイメージって
- 物忘れが激しくなる
- 今までできていたことが出来なくなる
- 怒りっぽくなる
といったイメージを持っていました。
具体的には、
- 今日が「夏なのか冬なのか」分からなくなる
- 自分の名前が分からなくなる
- 家族の顔が分からなくなる
といったイメージを持っていました。
認知症治療病棟や老人ホームで認知症の方に出会うまでは、教科書レベル・実習生レベルだったのもあり、イメージだけの世界でした。
あなたの中の、認知症の方のイメージってどんなものでしょうか。
認知症になったら終わりなのか
認知症になったら、すべてを忘れてしまって、人生終わりなのでしょうか。
認知症になったら、どんどん色んなことが出来なくなって、介護をしてもらうしか出来なくなって、人生終わりなのでしょうか。
認知症になっても、自分らしく生きることは、周囲の助けがあれば、出来る可能性があります。
進行性の病気だから、何もできなくなるかと言われると、そうではないから。
私が関りを持っていた、認知症の方々は、長谷川式スケールで検査が出来ないほど重度の方が7、8割を占めていました。
- 自分の名前が分からなかったり
- トイレの使い方が分からなかったり
- ご飯の食べ方が分からなかったり
日常生活を送るのに困って、入院されたり、老人ホームに入所されたりしている方々でした。
自分の名前が分からなかったり、トイレの使い方が分からなかったり、ご飯の食べ方が分からなかったりしたら、あなたなら、どんな気持ちになるでしょうか。
名前を聞かれて、
「(あれ…なんだったっけ…)」
と思ったら、私だったら「なんで私の名前を聞くの?」ってごまかします。
もしかしたら、「なんであんたに教えなきゃいけないの!」と怒るかもしれません。
だって、自分の名前が分からなかったら、不安だから。
トイレの使い方が分からくなったら、どうするでしょうか。
私だったら、トイレの使い方が分からなかったら、誰にも聞けないかもしれません。
だって、恥ずかしいし、トイレに行きたいことや、どうしていいのか分からないことをきっと上手く伝えられないから。
トイレに失敗して、着ている物を汚しちゃったら…
パニックになりそうです。
認知症になったら、人生終わりなのでしょうか。
不安にさいなまれて、失敗して怒られて、出来ないことがどんどん増えていくだけなのでしょうか。
周りに支えてくれる人、助けてくれる人がいれば、その人らしく生きることはできると、働いている中で感じました。
また、認知症の方が逆に誰かの力になれることも出来ると感じました。
だって、認知症になるまでの時間で、その人が積み重ねてきた時間は確実にあるから。
認知症の本人から見えている世界ってどんな風なのか
私は認知症になったことがないので、認知症になった本人の気持ちは分かりません。
想像することしかできないですし、その人がどんな人生を送ってきたのか、今どんなことを考えているのか分かりません。
認知症じゃなくても、人の気持ちって分からないものですけどね。
6年間、認知症治療病棟や老人ホームで、長谷川式スケールをとったり、実際にかかわりを持ったりする中で、どんな世界が見えているのかなと、たくさん想像を膨らませて関わりを持ってきました。
あなたが想像する、認知症の本人から見えている世界って、どんな風でしょうか。
あなたが、もし認知症になったらどんな世界で生きているでしょうか。
- 分からないことが増えていく
- 今までできていたことが出来なくなっていく
- 周りにいる人の顔や名前が分からなくなっていく
- 今日が、今が、いつなのか、朝なのか夜なのかわからなくなっていく
失っていくものが多い世界は、不安でいっぱいなのだろうと、関わりを持っている中で私は感じました。
私だったら、
不安でいっぱいです。
自分の出来なさを誤魔化したい、隠したい気持ちでいっぱいです。
誰かに頼りたいけど、誰にどうやって助けを求めたらいいか分からない。
- 分かることがあれば、誰かの役に立ちたい。
- 一緒に過ごしてくれる人がいれば、安心して過ごしたい。
- 一緒に過ごしてくれる人と楽しく過ごしたい。
私だったら、そんな風に思うでしょう。
奥さんや旦那さんの顔が分かる方は、ご家族が会いに来られたら嬉しそうにしている方もいました。
逆に、分からない方は、不安そうだったり、ご家族の方も、どうやって関わったらいいのか困っていたりする方もいました。
私も、家族側だったら、自分の顔を忘れられたら悲しいし、「いい加減にしてよ」と思ってしまう事もあるかもしれないなと感じました。
本人から見える世界、家族から見える世界を理解して、よい距離感で関われるのがいいのでしょう。
認知症の方々から見えている世界は、一人ひとり違うからこそ、関わり方がとても難しいと感じました。
また、ご家族さんから見えている世界も、一人ひとり違うからこそ、丁寧に関りを持つことの大切さを6年間の仕事の中で学ばせていただきました。
認知症になったご本人さんの生活を長く見てきた、旦那さん・奥さんだからこそ、知っていることがたくさんありました。
それは、スタッフが知らない、想像できないことです。
私は、ご家族さんに、なるべく、ご本人さんとの思い出を尋ねるようにしていました。
時には、昔の写真を持ってきていただいたり、思い出の品を見せていただいたりしました。
認知症の方にできる支援
不安を抱えている認知症の方に、出来る支援ってなんなのでしょうか。
私は、ご本人さんのことを、出来る範囲で理解しようと、たくさん情報を集め、想像を膨らませ、その方が生きてきた時代のことを勉強しました。
認知症の方に出来る支援は、その人がその人らしく生きることの手助けだと感じました。
みんなで唱歌を歌うことでもなく、レクリエーションの体操をすることでもありません。
誰かと一緒に、活動をすることが楽しみで、大勢の人と集って、歌を歌ったり、体操をして過ごしてきたりした人にはいいでしょう。
あなたが、認知症になったとしたら、何をして過ごしたいですか?
認知症の方に出来る支援は、
「その人が何をして過ごしたいか」
です。
- 専業主婦だった人は、料理をして過ごしたらいいでしょうか?
- 畑仕事をしてきた人は、畑仕事をまかせておいたらいいのでしょうか?
- パチンコを趣味として過ごしてきた人は、朝から晩までパチンコをして過ごしたらいいのでしょうか?
そうではないですよね。
専業主婦だった人は、もしかしたら料理が嫌いだったかもしれません。
料理よりも、近所の人と旦那さんの愚痴を言い合ってお喋りしている時間が好きだったかもしれません。
料理よりも、一人で黙々と洗濯物を綺麗に畳んで、綺麗にしまうことが気持いいと思っていたかもしれません。
料理よりも、安い98円の卵を買いに行くことが楽しかったかもしれません。
畑仕事をしてきた人は、畑を耕すよりも、畑を耕して疲れた後にこっそりと飲むコーヒーが好きだったかもしれません。
実は、奥さんよりも、近くに住む幼馴染の、おばーさんが毎日散歩している姿を眺めるのが楽しみだったかもしれません。
パチンコを趣味として過ごしてきた人は、パチンコで勝った後に、孫に買っていくお菓子選びが好きだったかもしれません。
お菓子を渡した時の嬉しそうな、孫の顔を見ることが嬉しかったのかもしれません。
- その人が、何をして過ごしたいのか。
- その人が、何を楽しいと思っているのか。
ということは、
「何をしてきたか」
ではなく、
「どんなことが好きだったのか」
「どの活動の、どんなところに楽しみを見つけていたのか」
ということが大事だったりするのかもしれません。
「認知症の方」と、ひとくくりにするのではなく、
- あなただったら、どうして欲しいか。
- あなただったら、どうしたいのか。
を考えることが大切です。
一方で、一人ひとりの支援にかけられる時間や労力は限られています。
スタッフが一対一で24時間関われるのであれば、話は別ですが。
そうではないところが、悩ましい所だと、現場で働いていて感じる所でした。
その人がどうして欲しいのかを考え、支援しているからこそ、
- してほしくないこと
- 困っている場面
- 困るであろう場面
が、ある程度予測がつきます。
予測がつくけれども、どうしようもない場面ってあるんですよね。
全てに向き合うことは、無理で、分かっていても何もできないことに胸を痛めながら働いていました。
現場の状況は、ご家族さんには伝わらず、お互いにギクシャクとしたこともたくさんありました。
現場のスタッフが疲弊していく姿もたくさん見ました。
認知症の方に出来る支援は、一人ひとりが、
「あなただったらどうして欲しいか」
と想像して、かかわりを持っていくことが大切です。
ご本人さんだけでなく、ご家族さんや現場スタッフの心のケアも、認知症という病に関わる現場では必要なことです。
家族が認知症になったらやってほしいことや考えて欲しいこと
あなたのご家族が認知症になったら、やってほしいことや考えて欲しいことがあります。
それは、
「自分が認知症になったら、家族にしてほしくないこと」
を考えることです。
「あなたが認知症になったら、家族にしてほしくないこと」
を考えてみてください。
いくつ思いつきましたか?
私は、私が認知症になったとしたら、夫にしてほしくないことやして欲しいことを考えてみました。
私が認知症になったとしたら、
- 夫の体調が崩れるまで一人で抱え込んでほしくない
- 夫が倒れるまで、無理に家で過ごしたくない
- もし私がデイケアに行きたくないと喚いても、夫一人で連れて行く必要はない
- 老人ホームで寂しそうにしていても、悲しまないで楽しい時間を過ごしてほしい
- 自分の時間を大切にしてほしい
と考えました。
自分が、不安でも、病気になっても、家族を苦しめるのは嫌です。
難病になった今でも思います。
- 誰かの負担になっているのではないか。
- 自分は役に立たないだけの人間になったのではないか。
そんな風に思います。
どう思うかは、人それぞれなので、何とも言えないですが、無理をしてご本人さんとギクシャクしてしまうこともあるでしょう。
「こんなに頑張って支えているのに」と、認知症になった家族に当たりたくなってしまうこともあるでしょう。
それでは、本末転倒です。
進行していく病気だからこそ、長く、いい距離感で、過ごすことが大切です。
ギリギリまで無理をして抱え込むよりも、
- 認知症の治療をしている病院のスタッフに相談してみる
- 老人ホームに一時的に入所してもらう
- デイケアなどの昼間に安全に過ごせる場所で過ごしてもらう
など、利用できる支援を出来るだけ早めに利用していくことも大切です。
ご本人さんの認知症の症状が酷くなってしまう前に。
ご家族さんの心が折れてしまう前に。
家族が認知症になったら、認知症なのかなと思ったら、
- 誰かに頼ること
- 本人との距離感を見つめ直すこと
を、ふと考えてみて欲しいなと考えています。
すぐに心を切り替えられることではないので、少しずつ、「今」考えてみてはいかがでしょうか。
認知症は誰でもなる可能性があるし、高齢者じゃなくてもなる可能性がある
認知症は、誰でもなる可能性があります。
若年性認知症であれば、50代…、いや、もっとはやくからなるかもしれません。
脳血管性認知症という認知症であれば、明日にでもなっているかもしれません。
認知症は、歳をとったらなるものではなく、誰でも、いつでもなる可能性があります。
だからこそ、「今」考える必要があるのではないでしょうか。
あなたらしく生きること。
自分が好きなことって何なのだろう。
あなたがあなたらしく生きるためには、
- どんなことをして欲しいのだろう
- どんなことをして欲しくないのだろう
普段から、どんな活動の、どんな部分が好きなのか。
考えてみるきっかけになればいいなと思います。
作業療法士は、「作業活動」の専門家。
どんな活動の、どんな工程が好きなのか。
あなたらしく過ごすためには、どんな活動のどんな部分が好きですか?
きっと大切なのは「どんな活動」ではなく「どんな部分」だから。
私は、病気になって、仕事を辞めましたが、
作業療法士として、誰かの役に立つ時間が好きでした。
だから、作業療法士として働けなくなった今は、こうやって、誰かの生きるヒントになればと思い、文章を書いています。
誰かの役に立てる可能性があるのであれば、それが私の好きなことだから。
あなたは、どんな活動のどんな部分が好きですか?
認知症にならなくても、生きるために大切なことかもしれません。
一度考えてみて、家族と話してみてはいかがでしょうか。