こんにちは。てむたむ(@temtam8)です。
今日は、田舎暮らしや、「自分の好き」をあつめたこのブログを始めたきっかけや、私の簡単な自己紹介をします。
わたしがどんな人なのか、わたしなりに綴ってみようと思います。
田舎暮らしに憧れて
わたしは、愛知県で生まれ、ほぼ愛知県で育ちました。(少しだけ、長野県とオーストラリアに住んでいました。)
今は、静かな場所でのんびりとした暮らしをしたくて、元ベットタウンの寂れた田舎の町に、ちっちゃな築40年は経っているおうちで、夫と二人で暮らしています。
田舎での暮らしを望んだのには、理由があります。
名古屋市内で、1人暮らしをしていたこともあったのですが、情報や人が多く、コンクリートに囲まれた暮らしに疲れてしまったからです。
土や植物に落ちる雨音、田んぼのかえるの鳴き声、蛍の飛ぶ小川、足跡のついていない雪道、そんなものが大好きで、そういうものに囲まれて過ごしたいという思いがあって、不便だけれども、静かに暮らせる場所を選びました。
見えないものが好きな人
私は、目に見えないものや、触れられないものへの関心が強いみたい。
心理学・宇宙・うた・音 そんな、手が届きそうで手が届かない。
近くにあるようで、近くにない、そんなものが好き。
こうやって、文字を綴ることも、手が届いているようで、その想いはあるようで、ないようで、不確かなもの。
そんな不確かなものが、好き。
ちなみに、私の学生時代の好きなものは、バスケ・お琴・ピアノ・アカペラ・さんぽでした。
バスケ部や筝曲部、アカペラサークルに入って活動をしていました。
ピアノは、小さい頃から習っていたのですが、やめてからの方が好きになりました。
家族とは距離をとって生きる道を
私の人生を、語る上では、あまりに大きい、家族の問題。
小学校の高学年で、両親は離婚。
何が起きたのか分からないような状態で、きちんとした説明もなし。
「苗字が変わるけど、引っ越ししたい?転校したい?どうしたい?」と母親から聞かれるも、10歳の私が、離婚の理由・状況もよく分からないまま、きちんと判断ができるわけもなかったのです。
なんとなく、母親が、この辛い思いをしたアパートから離れた方が楽なんじゃないかと思って、「転校する」ことに決めた5年生の私。
あっという間に転校。
持ち物の名前を全部書き換えるのがとても大変だった思い出。
苗字も変わり、2つ下の妹は不登校に。
私はと言うと、新しい小学校ではいじめに合い、中学生の時には、廊下ですれ違うたびに腹パンをしてくる同級生の女の子がいるような状態でした。
離婚をして、不安定な母親からは
「あんたは私が死ねばいいと思っているんでしょ」
「あいつ(私の父親)の血が流れているから、片付けができないんだよ」
「私より先に帰ってきているのに、なんでご飯作ってないの」
と当られる始末。
不登校の妹からも、乾電池を投げられたり、学習机を壊されたり。
そんな生活が、小学校5年生から、最近まで、当たられる方法は変化すれど続いていました。
それが、どれだけ辛いのかも、他の友達と違う家族の形であるのかも、私には分からず、へらへらと笑って、
「私って生きているだけで迷惑なんだな」
「生まれてきたらいけない存在だったんだなぁ」
って当たり前のように思って、20代後半まで生きてきました。
働き始めてからも、そんな思いがあって、家族のために家を建てることを目標に、お金を入れ、お金を貯め、節約をし、母親の嫌がることは避けて生きてきました。
私が私らしく生きる ということからは、とてつもなく遠い場所にいたように、今では感じます。
今は、好きなものや、好きなことを見つけ、それらに囲まれ、しあわせに暮らせていて、ほんとうに今の暮らしが好きです。
今日はここまで。続きはまた明日。
ではでは。
私の、ブログをはじめるまでのエピソード
小学生の頃からの話を5話でまとめました。
次回は、「自分の好きなものがわからなかった私」が、うつ病になったのをきっかけに、自分らしく生きてもいいんだと気づけた話です。
>>>【母親からの過干渉】やりたいことがわからなかった私が、うつになって気付けた自分らしく生きる自由