うつ、こころの病気

うつ病の時に救われた言葉

花と子ども

こんにちは。てむたむです。

大学生の時に、うつ病になり、2年間休学しました。そして、また、10年以上たった今、ほかの病気になりその薬の副作用で「うつ病」症状が出る時があります。

うつ病の時や、病気になった時って、すごく不安で、先が見えなくて、やりたいことも思うようにできなくて、症状もつらくて、生きているだけで精一杯です。

私は、うつ病で、パニック障害も併発していた時が一番つらかったです。

電車に乗る時は特に、突然涙が止まらなくなったり、過呼吸になったり、息苦しくなったり…。

苦しくて、つらくて仕方がない時に、私を救ってくれた、私の周りの人たちの言葉を、綴っておきます。

 

こんな人に読んでほしい

  • うつ病になってつらい人
  • うつ病になった人はどんな言葉で救われているのか知りたい人
  • 家族や友達がうつ病になっていて、どんな言葉をかけてあげたらいいのか困っている人

 

あなたの一言が、救いになったりすることがあるかもしれません。

 

うつ病の時に救われた言葉①大学の教授から

花

うつ病になって休学を余儀なくされた時、私は担当教員に相談をしに行きました。

相談をしに行った教授は、50代後半の男の先生でした。

 

「僕は、今まで生きてきて色々と悪いこともしてきた。人に言えないこともしてきた。だから、大丈夫だ。人殺しさえしなければ大丈夫だ。」

 

と言われました。

 

相談をしに行った時には、うつ病で、頭もぼんやりしていて、落ち込みも激しくて、何のことを言っているのか理解ができませんでした。

2年間の休学中、私の頭の中には、先生から言われた「人殺しさえしなければ大丈夫」という言葉が残っていて、症状がひどくなったり、絶望的な気持ちになったりした時に、なんとか生きていられたのはこの言葉があったからかもしれません。

 

うつ病の時に救われた言葉②当時付き合っていた彼から

金木犀

うつ病になった時、私には、以前からお付き合いしている人がいました。

うつ病になって、休学している間、生きているのがつらくてしょうがない症状が出ることが度々ありました。

あまりにつらすぎて、ふすまを蹴飛ばして外したり、あざができるまで太ももを自分で叩いたり、押し入れを蹴飛ばして穴をあけたりするほどに、泣いて暴れたこともありました。

「私なんて、生まれてこなければよかったんだ」

「私なんて、消えてしまえばいいんだ」

「消えちゃいたい」

「死んじゃいたい」

そんなことを連呼しながら、泣き叫んでいた時に、その彼は、自分で自分を痛めつけてしまう私を、取り押さえて

 

「僕には、必要だよ。〇〇には必要ないのかもしれないけれど、僕には〇〇が必要だよ。」

 

と、泣いて暴れている私に向かって、言ってくれました。

自分で、自分を必要だと、全く感じられず、つらくて仕方がない時に、暴れて人を困らせてなにもできない私に、「僕には必要」と言ってくれたことに、どれだけ救われたことか。

人に必要とされることが、これほどに大きな勇気を与えてくれるなんて、私の人生で一番の衝撃を与えられた出来事でした。

彼とはお別れしてしまいましたが、うつ病になっても、苦しくても、つらくても、今でも「僕には必要」と過去に行ってくれた人がいた、という事実は私を、いまだに救ってくれます。

 

うつ病の時に救われた言葉③今の夫から

ラベンダー

大学生の時に、うつ病になりその後、順調に回復して、就職をして働いていました。

別の病気になり、ステロイド治療をする中で、その副作用で「うつ病」再びなりました。

家で、自宅療養生活が長くなってきて、先が見えない治療の中で、仕事は?住宅ローンは?今後の生活は?どうしたらいいんだろう…と、不安に襲われたり、焦る気持ちが出てきて、夜眠れなくなったり、落ち込んだりして、泣いてしまうこともありました。

泣いている私を見て、寝ぼけながら夫が声をかけてくれました

「〇〇には、僕がついてるからね。大丈夫。隣にいるからね。一緒にいるから大丈夫。」

と、寝ぼけながらも声をかけてくれました。

自宅療養生活中は1人でいることが多く、仕事をしていないので人とかかわることも少なく、もちろん病気のことを気軽に相談できる相手なんていません。弱音ばかりはいていても、どうしようもない。そう思って過ごしていました。

一人で、気持ちを抱え込んで、パンクしそうで、うつ症状が出てきたときに、誰かが一緒に私と生きていてくれるということに救われました。

一人じゃないんだ、そう思わせてくれた夫がいてくれて、本当に救われました。

 

うつ病の時に救われた言葉④心療内科の先生から

桜

大学生の頃にうつになってから、心療内科にずっと通い続けています。

小さな心療内科を一人でやっている女の先生に言われた言葉で、救われた言葉があります。

それは、

「つらかったね」

という言葉です。

何気ない、ただ、これだけの言葉に、何度も何度も救われてきました。

つらいと思ってはいけない、このくらい辛くない、と自分を奮い立たせて歩んできた人生でした。今でも、そうやって生きています。

この先生は、よくこうやって言ってくれます

「つらかったね」

「それは、大変な思いをしたね」

「頑張ったんだね」

と。

自分の気持ちを、自分で、ないがしろにしてしまう私の代わりに、私の気持ちに寄り添ってくれます。

共感してくれる言葉で、自分の気持ちに気付けることもあります。

私って「つらい」って思ってたんだ。ってハッとすることがあります。

 

さいごに

花と子ども

うつ病の時や、病気になった時に救われた言葉を思い出してみると、劇的な何かが変わったわけではありませんでした。

そこには、ただ、『共感』『寄り添う人』がいました。

 

私の気持ちを、「つらい」と認めてくれる人の存在。

私が生きているのが辛いと思っているときに、何もせずとも傍ににてくれる人の存在。

私に生きていてほしいと思ってくれている人の存在。

 

うつ病になった人を、急激に救う言葉は、ないのかもしれません。

インフルエンザのように、薬で1週間で治るようなものでもないのかもしれません。

それでも、ただただ、一緒に生きてくれる、そんな大切な人の存在が、私を救ってくれました。一般論ではなく、その人から、わたしに向けられた言葉に救われました。

 

一人じゃないよ。

あなたに生きていてほしい人はきっといるから。

あなたが、必要じゃないと思っても、あなたを必要としている人はいるから。

 

気軽にコメントしていってくださいね。

臨床心理士さんとお話しできるオンラインカウンセリングを使ったり、いのちの電話に助けを求めてみたりするのもいいかもしれません。

 

 

時には、つらいけれども、また、楽しい時間も来る時が来るから。大丈夫。

人殺しさえしなければ、大丈夫だよ。

 

ではでは。

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