指定難病のネフローゼ症候群になってから、1年半…もうすぐ2年経とうとしています。
初発で、入院をした初日。
「私ってネフローゼ症候群の患者になったんだ」
と実感が沸きました。
病気になった時点で、私の身寄りは夫と夫の実家のみ。
夫の両親は何時間もかかる道のりを、飛んできてくれました。
そんな私が、病院のベッド上から動けない中思ったことは、
「大事な息子さんと私が結婚していてごめんなさい」
と心から思って、号泣しました(口にはしませんでしたが)。
持病持ちになってから、
- 仕事を失い
- 居場所を失い
- 通院費がかさみ
- 体調が安定している日が少ない
という日々を過ごしてきました。
今でも、夫に対して、夫の両親・家族に対して、「申し訳ない」と思うことはあります。
ただ、1年半くらい夫と一緒に過ごしてきたり、夫の両親や祖父母と接する中で、
「一緒にいてもいいのかな」
「持病持ちだから、難病だからって出来ない事ばかりじゃないんだな」
と思うことが増えてきました。
悲観的になったり、苦しくなったりすることもありますが、今は、
「夫と一緒にいたいな」
「夫のご両親、親戚とも一緒に過ごす人生…私が望んでもいいかな」
と思えるまでになりました。
持病持ちの方々を支援してきた私にとっては、持病を持っている方がパートナーと一緒にいる姿は自然だったはずなのに、いざ自分がなってみると、見える世界は全然違いました。
目次
結婚する前に難病になっていたら結婚していたのかな
指定難病になってから、
「結婚する前に難病になっていたら結婚していたのだろうか」
「結婚する前に難病になっていたら、お付き合いするっていうことを選択できたのだろうか」
とよく考えます。
指定難病といっても、事情は様々ですし、病状も様々でしょう。
私の場合は、1年半病状が安定せず、入退院を繰り返して、仕事を出来ない状態になりました。
以前やっていた仕事は、肉体労働であり、かつ、医療職。
免疫抑制剤を服用している私にとっては、再発するリスクや、感染するリスクがあります。
30代で、今まで続けていた仕事を突然失い、助けてもらわないと日々の生活も出来ない状態である日も。
これが、お付き合いしている状態だったら、お付き合いする前だったら、私はどうしていたんだろうか。
なんて考えてしまうことが何度もありました。
自分では、『お荷物』としか思えない。
支援する側にいる時には、そんなこと全く思わなかったのに。
いざ【自分ごと】となったら、自分の存在を『お荷物』としか思えない日々が続いていました。
結婚していてもいいの?私と一緒にいてもいいの?
支えてくれる夫に対して、申し訳ない気持ちを抱えながら、そんな気持ちを膨らませてしまいながら過ごしていました。
夫は、私と結婚(を継続)していてもいいのだろうか。
私は、一緒にいたいと願っていいのだろうか。
そんなことを思い、悩み、夫に尋ねてしまうことは何度もありました。
夫が寝た後に、布団にもぐって、静かに泣いてしまうことも何度もありました。
持病持ちってこんなに苦しいの?
難病になって、結婚する・結婚しているってこんなに申し訳ないの?
知らなかった気持ちに、気付きました。
夫に、何で一緒にいるの?本当にいいの?なんて尋ねてみると、
- なんでだろうね~
- 一緒にいたいから一緒にいるんだよ~
- 家族になったからいいんだよ~
- 大変だけど、一緒にいたいから一緒にいるんだよ~なんでだろうね~
と、ニコニコしながら応えてくれます。
いつもそう。
明確な理由なんて答えてはくれないけれども、私の気持ちには応えてくれます。
今でも、何で一緒にいるのかは分からないけれども、「好きだよ~」なんて言いながら過ごしてくれます。
そんな姿を見ているうちに、
「(私も一緒にいたいと思っていいのかな)」
「(好きって思っていてもいいのかな)」
と思えるようになってきました。
世の中の、持病持ちで、働けていなかったりする人たちは、どんな風に思いながら過ごしているんだろうね。
持病持ちで、難病になったのに、それでも住宅ローンを一人で組んだ夫
2018年の10月に指定難病のネフローゼ症候群になりました。
丁度、その一か月前頃、『妊活をはじめて、家を建てよう』と2人で決めたところでした。
どんな風に、2人で人生を歩んでいこうかと、決意を新たにして歩みだした所で、病気になりました。
治療が思うように進まず、2019年の2月に私は退職。
その後も、再発を繰り返し、高用量のプレドニンや免疫抑制剤を服用。
LDL-Aという治療も行いました。
未だに仕事を出来る状態にはなっておらず、薬の副作用で頭がぼーっとする日が多い。
そんな日々を送ってきました。
今後も、治療がどうやって進むのか、上手くいくのか、仕事に就けるのか、どれだけ稼げるのか、治療費はどの程度かかるのか、不透明です。
2人で話し合って、注文住宅やお金、ローンの話を進めてきました。
夫は、私と一緒に住む家を予定通りに建てようと、去年の末に住宅ローンを組みました。
持病持ちとなった私は、住宅ローンを組むことも出来ず、保険にも入れず、稼ぎもありません。
もし、私がいなくなったら、夫は一人で住宅ローンを背負うことになります。
それでも、夫は一緒に注文住宅の話を進めてくれました。
私には、理解が出来ません。
こんな、役立たずな私と一緒にいたいと思ってくれて、リスクを背負いながらも一緒にいたいと思って、住宅ローンを組むなんて。
「バカなの?」
とすら思っていました。
夫はまだ30代前半。
健康だし、優しいし、いいところもいっぱい。
「私と一緒にいるより、誰か別のパートナーを探した方がいい」
今でも、そう思うこともあります。
ただ、治療を進めてくる中で、【夫が一緒にいてくれるんだ】ということと、注文住宅の話を進めて、ローンを組んで2人で生活をしていこうと一緒に考えることは、間違いなく私の支えになっていました。
治療が思うように進まず、再発を繰り返して、外に出れなかったりするだけでなく、
- 歯磨き
- 朝の着替え
- 起きて過ごす
- ご飯を食べる
当たり前のことが、出来ない日もかなり多い1年半でした。
いつまで続くのか分からない、一生続くのかもしれないこの状態。
自暴自棄にもなったし、一人で生活保護生活になることも何度頭をよぎったことか。
夫の「一緒に生きて行くんだ」という気持ちを、小さな言葉の積み重ねや、行動で示してくれたことは、私にとっては「私も前を向いて、夫が笑ってわたしと一緒にいられるように過ごしたい」という気持ちにさせてくれるものでした。
- 少しでも働けるように考えよう
- 少しでも治療が前に進むように祈ろう
- 治療に前向きに取り組もう
- 生きよう
そう思わせてくれたのが、「夫と一緒に家を建てる」という現実でした。
難病の持病持ちでも、結婚してしあわせになりたい
医療職として働いていた頃は、患者さんが、しあわせに暮らしている姿をみるのが好きでした。
楽しい話を聞くのが好きでした。
わたしだって、結婚してしあわせになりたい。
もう結婚していますが、そう願ってもいいのかなと、病気になった時よりも、思えるように少しずつなってきました。
治療薬の影響で、15kgも太って、顔もパンパンに腫れて、髪もバッサリと切って、短くした髪もパサパサです。
肌もボロボロだし、ニキビ跡だらけになりました。
隣を歩いていて申し訳ないと思うことも、何度もあります。
未だにあります。
今は、以前よりは薬が減ってきました。
以前のように、わたしが私らしくいられるように、
- ダイエットをして、
- 可愛い服を着て、
- メイクをして、
- 夫と一緒に思いっきりデートを楽しむ
のが目標です。
きっと、「かわいい?」って聞いたら、「かわいい」って応えてくれる夫だから。
肝心の注文住宅は?
今は、通院治療を続けながら、
- 在宅でできる仕事を探したり、
- ポイントサイトでポイ活をしてみたり、
- お金の勉強をはじめたり、
しています。
注文住宅は、あと2か月くらいで完成。
夫と一緒にはじめる、私たちの人生の秘密基地です。
「普通の家庭を築きたい」とウェディングプランナーさんに2人で話をして、披露宴では、
「普通の家庭を築きたいというのがお2人の夢です」
と、来てくださった方々の前で言われてから、早数年。
「普通」って何なのかは分かりませんが、一緒に2人で過ごす時間が、私たちの人生になっていきます。
一つ一つの時間や出来事を大切にしながら、私たちの人生を歩んでいこうと思います。