ネフローゼ症候群

難病のネフローゼ症候群になって得られたもの。

こんにちは。てむたむ(@temtam8)です。

何度もこのブログではお話ししていますが、昨年の秋に私は難病のネフローゼ症候群に突然なりました。

原因も不明、治療法も未確定の病気です。

こんな病気になるなんて、本当に思ってもみませんでした。

たくさん泣きました。

 

できることなら、難病になんてなりたくなかった。

それでも、難病のネフローゼ症候群になって得られたものが、私の人生にはありました。

この記事はこんな人に読んでほしい

  • 難病になったばかりの自分に向けて
  • ネフローゼ症候群になったばかりの誰かに向けて
  • 自分の人生ってなんだろうって悩んでいる方に向けて

人生に躓いて悩んでいるような方が読んで、少しでも救いになったらと思い、今日は書いています。

夫との絆

難病になって、得られたのは、大切な夫との絆でした。

一緒にいられない時間

私が、初めて入院して、一緒にいられない時間ができました。

いつまで続くか分からない入院期間。

夫は毎日、朝ご飯を家で1人で食べて、1人で支度をし、1人で仕事へ出かけます。

そして、私にたまに面会に来て、その後、家に帰って私の洗濯物をし、1人でご飯をつくりそのご飯を食べます。

私は、朝から検査をしたり体重測定をしたりして1日が始まります。

1人でベットの上で出されたものを食べ、下げてもらい、そして点滴や処置をします。

そして、お昼ご飯を食べ、新しい点滴に変えてもらったり、ある日は身体を拭いてもらったり、頭を洗ってもらいます。

そして、夜ご飯が出され、それを1人で食べます。

それぞれの時間を1人で過ごし、いつまでつづくのか分からない日々を、治療法のない病気になった不安を抱えた日々を、それぞれ過ごしました。

当たり前だった日常

毎日一緒に布団を並べ、喧嘩をし、文句を言い、過ごしていた日常はどこかに飛んでいきました。

朝一緒に身支度をする時間も、ご飯を食べている顔を見る時間も、疲れている顔してるなぁと心配する時間も、当たり前だったけど、入院してから当たり前でなくなりました。

一緒にいられる時間

当たり前だと思っていた日常の時間は、入院した途端に水の泡のように消えていきました。

当たり前の日常がどんなに大切だったのかを、入院して感じ、また懐かしく思うような気持ちになりました。

それは、遠くの幻想を見ているような、とても昔のことのような、誰か他の人の人生の夢を見ているような気持ちになりました。

退院して、治療中で苦しいこともありますが、一緒にいられる時間をとても大切に愛おしく思っています。

1人の時間

退院して一緒にいる時間は増えました。

ただ、夫を送り出して、1人の時間に、ふっと寂しい気持ちになります。

こういう時間も大切なんだなとも思います。

私の人生だから、私の大切に想う人たちのことを思い、考え、感じる、この1人で静かに考えたり、文章を書いたりしている時間もとても大切な、愛おしい私の人生の時間です。

生きたいという気持ち

いろんな時間を感じ、当たり前だった幸せを感じ、生きたいと思う気持ちが、病気になる前より強くなりました。

ステロイドうつになって

ネフローゼ症候群の治療は、ステロイドの内服治療が基本です。

ステロイドの治療は「肉を切らせて骨を断つ」というような、過酷な治療です。

山ほどの強い副作用がありますが、それでも、ステロイドで病気を叩きます。

副作用の1つに「ステロイドうつ」というものがあります。

一時的に「うつ病」になるようなイメージです。

私はステロイドうつになりました。

涙が止まらず、「もう死ぬんだ」と勝手に思い込み、面会に来てくれた夫に当たり散らし、夫の両親の目の前で大泣きし、入院後半では仕事に戻りたいと主治医に駄々をこね、パニックで泣きじゃくってしまったこともありました。

生きているのが申し訳ない気持ち

「ステロイドうつ」になって、うつの症状でしょうか、『生きているのが申し訳ない』という気持ちが込み上げてくることが増えました。

治療法も未確定な中、始めたばかりの妊活も治療と薬の影響でできなくなりました。

もう30代、子どもが欲しいと思っても、刻々と妊娠できる年齢のリミットは迫ってきます。

夫を「父親」にしてあげられないかもしれないという思いが強くなりました。

入院費もかかるし、1人では何もできなくて、子どもを産むこともできないかもしれなくて、うつで八つ当たりもしてしまって、『生きているのが申し訳なく』て仕方ない気持ちがありました。

今でも、その気持ちは、心の片隅に残っています。

やりたいことを持っていたことに気付いた

「父親」にしてあげたい、という他人事のように話すのには理由があります。

私は、母親と健全な関係での生育環境を持てていませんでした。

今では、完全に距離を取り、結婚式を終えてから、会っていませんし引っ越し先の住所も教えていません。

連絡が来ると不安定になるので、私には連絡してこないように頼み、夫に間に入ってもらい、距離をとっています。

私も心の弱さを持っていますが、私の母親も同じくして、心の弱さを持っています。

その母親を支える役割を担ってきて、私の心が壊れてしまった時期が過去に何年もありました。

そのため、距離をとっています。

今、お話ししたような状況もあって、

私は自分が、自分の母親からされた事柄を、自分が母親になった時に繰り返してしまうのではないかとずっと怖くて仕方ありませんでした。

だから、私は自分が「母親」になりたい、家族が欲しいというよりも、

夫を「父親」にしてあげたいと願います。

もしかしたら、夫と家族をつくっていけたら、何か1歩進めるのではないかという思いが小さく私の中にはあります。

今は、その祈りを叶えることができるかは分からないですが、それも私の人生だと感じています。

大切な夫の家族



私は、自分の実家の方たち全員と距離をとっています。

すべては、母親と距離をとるためでもありますし、他の親戚との関係性も共依存であったり歪みが入ったものであるからです。

過去に自分の心が壊れてしまったことを思い出してしまうからでもあります。

ひとりぼっちだと思っていた

結婚してから、自分の「家族」とは距離をとり、過ごしてきました。

結婚しても、ずっと私は、自分が1人ぼっちだと思ってきました。

夫には夫の家族がいます。

「ただいま」と実家に帰る夫を羨ましく思い、寂しく感じていました。

それでも、夫の家族は、私も一緒に「おかえり」と言って待っていてくれたのですけどね。

それに、気付く余裕が私には全くありませんでしたし、受け入れられなかったのかもしれません。

弱音を吐いてもそばにいてくれる人の存在

夫の実家で、小さな弱音を吐いても、夫は受け入れてくれます。

「そう思ったんだね」「寂しかったんだね」と言ってくれます。

弱い私も、泣いてしまう私のことも、苦しいだろうに受け入れて一緒にいてくれます。

私が逃げ出しても、私の帰る場所になってくれて、そっとそこにいてくれます。

なかなか素直に帰れなくても、何も言わずに、待っていてくれます。

どんな私でも、帰ることができるホームができたのは、私の心の大きな支えになりました。

はじめて私が経験する、「帰りたい場所」ができました。

帰る場所があるということ

私には、「帰りたい場所」がはじめてできました。

帰る場所があるということは、外で失敗したら、逃げかえってくることのできる場所があるということです。

この存在がどれだけ人生に大きな影響を与えているか、考えたことがあるでしょうか。

感じたことがあるでしょうか。

帰る場所があるということは、外で思いっきりチャレンジできるチャンスに繋がります。

小さい子どもが、新しいことにチャレンジして失敗して転んだら、お母さんの所に逃げ帰ってくるように、安心して帰れる場所があるということは、人生を豊かにしてくれるのです。

 

ではでは。

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