こんにちは。てむたむ(@temtam8)です。
今日は、わたしが何故ブログをはじめたのかお話しします。
今まで、ここで書こうかずっと迷っていました。
でも、誰かの力になりたいと思って始めたこのブログなので、やっぱり勇気を出して発信してみます。
目次
突然難病になりました
ネフローゼ症候群を発症した日。そして休職。
去年の秋、私はネフローゼ症候群になりました。
足がむくんで、しゃがみにくいなと思っていたら、3日と経たず歩けないほどに、腰あたりまであっという間にむくみました。
足首もわからないほどになりました。
土日祝日をはさんだのもあって、受診は火曜日。
クリニックでの検査から、翌日にすぐ中規模病院に紹介され、そこでも検査をしましたが見きれないといわれました。
そこでも、紹介状を書かれ、地域で一番大きい病院へ受診しました。
大きい病院を受診したのは、予約や診察日の関係で、足のむくみに気付いてから1週間後。
その時には、足がむくみすぎて、水風船のようになっていました。
体重はむくみで1週間で15kgくらい増えていました。
当然歩けず、病院前で車いすをかりて診察室へ入りました。
主治医から、ネフローゼ症候群であることを伝えられましたが、それ以外は頭に入ってきませんでした。
「家で生活できないと思うので今日入院でいいですか?」
と、言われ、安心したのと、これから起きる事への漠然とした不安に襲われ号泣しました。
仕事も、休職。
ネフローゼ症候群とは
ネフローゼ症候群という病名は聞き馴染みがないと思います。
私も、自分が発症するまでは、作業療法士の国家試験の勉強で少し名前を聞いたことがある程度でした。
私がなったものは、ネフローゼ症候群の中でも、一次性ネフローゼ症候群の中の、微小変化型ネフローゼ症候群というものです。
ネフローゼ症候群ってどんな病気なのか
どんな病気かというと、簡単にいうとこんな感じです。
吸収されるはずのたんぱく質が尿からどんどん漏れてしまう
↓
血液のたんぱく質が減る
↓
血液中の水分が血管の外に出てむくむ・血液がドロドロになる
↓
腹水・胸水もたまる
↓
放置すれば命に関わる
つまり、放置しなければ命には関わらない病気であるともいえます。
「概要」
ネフローゼ症候群は大量の糸球体性蛋白尿を来し、低アルブミン血症や浮腫が出現する腎疾患群である。成人ネフローゼ症候群の診断基準は、尿蛋白3.5g/日以上(随時尿において尿蛋白/尿クレアチニン比が3.5g/gCr以上の場合もこれに準ずる)が継続し、血清アルブミン値が3.0g/dL以下に低下することである。このうち、原因疾患があるものが二次性、明らかな原因疾患がないものが一次性ネフローゼ症候群である。
「原因」
原因は病型により異なると考えられるが、いずれの場合も明確ではない。
「症状」
微小変化型ネフローゼ症候群は、治療反応性は良いものの、30~70%と高率に再発が見られる。また、微小変化型ネフローゼ症候群(165名)の検討では、全体で3.6%、65歳以上の高齢者に限ると12.8%と高率に感染症死が見られた。
再発・再入院。それでも、私は何かをしたい。
即入院となり、20日間入院し、治療をしました。
腎生検という腎臓の組織を採る結構きつい検査もしました。
ステロイドの内服治療を通院治療で続けられる状態になり、退院しました。
退院してから、3か月後、少しずつステロイドを減薬していく中で、再発しました。
再び身体がむくみだしたのです。
ステロイドを再度増やして治療をしましたが、効かず、再入院となりました。
再入院では、前回より、血液検査の値が良くなく、2週間もの間、機械に繋げてコントロールしている24時間持続点滴をしました。
ずっと針が腕に刺さっていること、着替えも思うように1人で出来ないこと、点滴をいつも連れて歩かないといけないこと、つらかったことを挙げればきりがないです。
ステロイド治療の期間が長かったこともあってか、副作用はとても強く出ていました。
「ステロイドうつ」が強く出ていて、
「あぁ、もう私は、このまま死んじゃうのかもしれない…」
「仕事も、なにも、できなくて迷惑をかけるだけの存在になるのかもしれない…」
と病院の天井を見ながら思いました。
思うようにベッドからも動けないときに見ていたのが、いろんな人の闘病ブログでした。
「私にも、闘病ブログできるかな…こうやって、誰かのためになれるかな」
とふと、思ったのが、ブログをすることに興味を持ったきっかけです。
なぜブログなのか
2回目の入院中に、ブログに興味を持ちました。
運動制限と副作用
ネフローゼ症候群の治療の中で、
- 「安静にしているだけでも血液検査のデータはよくなる」と主治医から言われた事
- 副作用が強くて、思うように動けなかった事
- また再発した時に、むくんだら動けなくなる・歩けなくなる・座っていられなくなる事
をから、安静を保ちながらできることを考えた結果、ブログを書くことが、自分にとっていいのではないかと考えました。
通院治療をしている今は、よっぽど激しい運動をしなければいいし、普通に生活しています。
再発時にも、薬を増やすことで初発の時のように歩けなることはないみたいで一安心です。
副作用についてはこちらでまとめました。
役に立ちたい気持ちと、無職というプレッシャー
闘病ブログに救われ、私も役に立ちたいと思って、ブログを始めることにしました。
10年ほど前にやっていたヤプログを再起動させてもいいかなと思いましたが、ツイッターでブログをワードプレスで作ることが流行っているのを知りました。
友達が偶然ブログをやっていたのもあって、新しいことに挑戦してみるのもいいかなと思って、入院中に病院のベッドの上で、エックスサーバーでサーバー契約をしました。
私が使ったサイトはこちら↓
たまたま、独自ドメインを無料で取得できるキャンペーンをやっていたのと、10日間無料キャンペーンをやっていたのでこちらで契約しました。
また、休職していたことや、再発率が高いというのもあり、1円でも通院費の足しになったらいいなって思いがありました。
働いていない、これから働けるのか不安要素があるというのは、思っていた以上にプレッシャーとなっていました。
タイミング的にも、妊活治療を開始したばかりだったこと・注文住宅を建てるために土地の契約を進めている所だったこともあって、プレッシャーだらけでした。
今後、子どもを持つことができるのかは、わからないですが、病気を落ち着かせて、妊娠して再発する可能性や身体に負担がかかる可能性などの諸々のリスクを考えて、ゆっくりと考えていけたらいいなって思っています。
入院中は携帯のパケットがすごい勢いでなくなっていったので、早々にポケットWi-Fiを契約してたので、入院中にブログを始めることができました。
自宅まで郵送してくれるので、夫に受け取ってもらいました。
入院中にはSoftBank Wi-Fiルーターを使いました↓
パケットを購入するよりも、安く・安定して使えるので、入院のストレスが少し和らぎました。
テレビカードを買わなくても、AbemaTVで気を紛らわせたりもできてよかったです。
1回目の入院も2回目の入院も、レンタルをしました。
2回目のレンタルでは、ベッドの上から動くことができないのがわかったので、安心保障は外してレンタルしていました。
もし、私みたいに、ブログはじめたい人がいたら、こちらを読んでみてください。
ブログをするのに必要なことをまとめました。
また、入院期間に使って便利だったものもまとめました。
難病医療費等助成制度
私がなった、ネフローゼ症候群は、難病医療費等助成制度の対象でした。
簡単に言えば、ネフローゼ症候群に関する治療費のみ3割負担から2割負担になる制度です。
また1か月あたりの治療費の上限が収入によって人によって決められ、それ以上は国が助けてくれる制度です。
「難病の患者に対する医療等に関する法律」(平成26年法律第50号)に基づき指定される指定難病について、治療方法の確立等に資するため、難病患者データの収集を効率的に行い治療研究を推進することに加え、効果的な治療方法が確立されるまでの間、長期の療養による医療費の経済的な負担が大きい患者を支援する制度です。
ネフローゼ症候群に使われる薬は、普段飲んでいる風邪薬などよりも高いと感じるものが多かったです。
もし、入院が必要になっても、上限が決められるので、かなり金銭的に助けられる制度だと感じました。
働けない状態で、医療費がかさむというのは、本当に強いプレッシャーとなるので、ありがたいです。
ただ、勝手に適応されるものではなく申請する必要があるので、早めの申請をすることをお勧めします。
私の場合は高額医療費制度よりも、こちらの制度を使った方が有利でしたが、気付くのが遅くなって、再入院時には使えませんでした。
申請した日から適応となるので、入院中に夫に保健所や市役所をはしごしてもらいました。
他にも、入院してから助けられたお金の制度については「【入院した時のお金】ネフローゼ症候群になって使った制度【体験談】」でまとめました。合わせて読んでみてください。
同じ病室の人に救われた話
1回目の入院の時に、同じ病室になった人と仲良くなることがありました。
「私の人生に登場してくれてありがとう」ばあちゃん
少し小柄で、糖尿病で何度も入院を経験している、かわいらしいおばあちゃんが4人部屋で一緒になりました。
大きい声で活発におしゃべりをする人もいましたが、このおばあちゃんは控えめで、相手の気持ちも考えながら話をしてくれる人のようでした。
「あの人はすごい元気ですごいねぇ」とにぎやかな人のことを話したり、言葉を選んで、優しく話をしてくれます。
山形の芋煮会の話をしてくれたり、干し柿の作り方を教えてくれたり、昔流行ったうたの話を教えてくれたり、なんでもない楽しいおしゃべりをしてくれました。
穏やかな声で、穏やかにお話をして、つかず離れずの距離感でいてくれるので、そこにいてくれるだけで安心する存在でした。
私の人生の経験についても、悩みも聞いてくれて
「本当に頑張ってきたんだね」
「そんなひどいことがあったんだね。大変だったね。」
と励ましてくれました。
おばあちゃんの方が先に退院する日、寂しくて2人でお話ししていて、2人で泣いてしまって、元気でねって言い合ったときに、
「私の人生に登場してくれてありがとう」
っておばあちゃんが言ってくれました。
その言葉を聞いて、もっと泣いてしまって、ぎゅっと小さい身体で包み込んでくれたやさしいおばあちゃんでした。
はじめてのブラジル人のお友達
私が入院して、しばらくしてから隣のベッドに入院してきたブラジル人のお姉さん。
アレルギー反応で下痢が止まらなくなって一時的に入院になったようでした。
ブラジルはポルトガル語が公用語なので、英語ではコミュニケーションがとれません。
少しだけ日本語がわかって、私も翻訳アプリを使ってお話ししてみました。
簡単な挨拶を、ポルトガル語で調べて「おはよう」って話しかけてみました。
お互いの仕事や、家族のことをゆっくりとお話ししたり、元気になったら一緒に料理をする約束もしました。
女の子と男の子の子どもさんがいるお母さんでもあったので、面会に来ている所へ仲間入りして、私がもっていた折り紙を一緒にしました。
花くす玉を私が作っていたので、すごく興味を持ってくれたみたいです。
男の子は小学生の高学年くらいでしたが、私のために手裏剣を折ってくれました。
今でもFaceBookでつながっていて、私が良くなったら料理をしようねって、メールでやりとりを続けています。
はじめてできたブラジルのお友達です。
ブラジルに帰ることがあったら、旅行の案内もしてくれるって^^
楽しみですね。
このブラジルのお姉さんが私につたない日本語で歌詞をメモに書いて、教えてくれたCDがありました。
ステロイドうつや、休職・退職で落ち込みまくっていた私を救ってくれた曲です。
YouTubeで聴いて、入院中にすぐにCDをネットで購入しました。
誰かの救いになったらいいなと思って紹介しておきます。
今後について
この半年で、本当に色々なことがめまぐるしく起こりました。
幸いなことに、私の身体にはステロイドが効いたので、他の薬と合わせながら、薬を減らしていく治療に入っています。
ステロイドやほかの免疫抑制剤の副作用があるうちは、安定して仕事をすることができないので、あと1年くらいは傷病手当金をもらいながら、少しのんびりと、たまに旅行にでもいきながら過ごそうかなぁって思っています^^
人生の中の、ちょっとしたお休み期間です。
その間の、私の仕事的な活動としてブログは細々とでも続けていく予定です。
1年後には、薬物治療が落ち着いて、また作業療法士としてお仕事ができたらいいなって思っています。
さいごに
この記事を書くまでに、こころのなかで葛藤がありました。
暗いことを書いたら嫌な気持ちをする人がいるんじゃないかって。
ブログのイメージが悪くなるんじゃないかって。
でも、書きたかった。
私が、はじめたきっかけが、こういう記事だったから。
ここまで読んでくださってありがとうございました。