こころ

【母親からの過干渉】やりたいことがわからなかった私が、うつになって気付けた自分らしく生きる自由

走る子ども

 

こんにちは。てむたむ(@temtam8)です。

前回は、自分のやりたいことが分からなくて、生きる事にも悩んでいた少し前の私について簡単にお話ししました。今の「私の好き」についても綴りました。

前回までの、「自分の好きなものが分からなかった私が「自分の好き」を集めたブログをはじめました。」も合わせて読んでみてください。

 

ひつじのショーン
自分の好きなものが分からなかった私が「自分の好き」を集めたブログをはじめました。こんにちは。てむたむ(@temtam8)です。 今日は、田舎暮らしや、「自分の好き」をあつめたこのブログを始めたきっかけや、私の簡...

 

 

 

 

今回は、私が、「私の好き」を見つけられず、「好きなこと」を見つけることの大切さに気付くまでの話を綴りました。

 

  • 自分のやりたいことがわからなかくなっている人
  • 好きなものが見つからない人
  • 自分らしく生きる事に疑問を抱いている人

に読んでもらえたらなと思い、自分の経験をお話しします。

 

気付かなかった自分の認知の歪み

 

子どもと親

 

「私が私らしく生きる」ことを持っていない自分であること気づけたのは、大学に入った頃。

 

大学に入るまでは、

  • 「いい子どもである私」
  • 「いいお姉ちゃんである私」
  • 「母親を助ける存在である私」

になりきることを目標として生きていました。

 

 

周りに求められる「私」になることで、なんとか『生きていてもいい私』『周りに求められる私』でありたかった。

 

何故かって、「あいつ(私の父親)の血が流れているから」という母親の言葉を真に受けた子どもの頃の私は、

  • 生きていることが迷惑な存在
  • 生まれてきてはいけない存在

だとずっと思って、それを信じていたから。

 

私は、自分自身に対しての認知の歪みがありました。

 

大学に入って抜け殻に

 

周りに求められる私を、私は求め続けました。

  • 勉強・部活動・児童会に積極的に参加
  • 料理・洗濯などの家事も自己流で身に着ける
  • 大学は前期日程で国公立大学の医学部(作業療法)に合格

中期日程の薬学部も選ぶことができそうだったのですが、なんとなく、医学部へ進学しました。

 

 

てむたむ
てむたむ
資格職を選んだのも、安定した仕事について、母親を金銭的に支えるためという理由からでした。

 

 

資格があれば、就職に強いですからね。

 

理学部での宇宙・物理にも興味があったのですが、女性の就職・再就職が厳しそうだったので、やめました。

 

 

自己肯定感の「じ」の字も持っていない状態だったので、大学に合格したら自信が持てるかなと期待していたのですが、自分の受験番号を合格者のボードで見つけても、なにか空っぽな気持ちがそこにあるだけ。

 

喜んでいるのは、電話で報告をした、電話の先の母親だけ。

 

私も、一緒に喜ぶフリをしながら、

 

てむたむ
てむたむ
なんで、自信が持てないんだろう。

 

という不安に襲われたのが印象的な日でした。

そして、走り続けてきた私は抜け殻になりました。

 

大学に入って、自分と向き合った

女性

 

 

大学に入ると、ただテスト勉強をしていればよかった高校の時とは違って、自分で選択していく必要性に迫られました。

 

  • 自分の受けたい授業を選ぶ
  • 自分でその教室へ行く
  • 自分でそれをどう生かすのか考える
  • どう生かすか考え、さらに自分の行動を決める

 

所属している所がなく、宙に放り出されたような感覚。

 

 

てむたむ
てむたむ
私って何がしたいんだろう。

 

と、向き合わなければいけなくなった時、そこには何もありませんでした。

 

  • 「自分が好きなことってなんだろう」
  • 「自分がしたい事ってなんだろう」
  • 「自分の人生ってなんだろう」

 

その疑問に向き合った時、私の人生の選択をしてきたのは私ではなく、母親でした。

 

 

どうしていいのか分からず、確実に体調を崩していく中で、

「あいつ(父親)の血が流れているから、私が死ねばいいと思っているんでしょ」

と言われたことが辛かったと、母親に打ち明けました。

 

 

 

てむたむ
てむたむ
ある意味、反抗期だったのか、八つ当たりだったのかは不明。でも、八つ当たり、というには、あまりに静かな告白のように、母親に話をしました。

 

 

返ってきた答えは、

「私そんなこと言ってない…」と、子どものように泣きじゃくる母親がそこにいるだけでした。

 

 

私のこころは、どこへいったらいいの?

自分自身と向き合う必要が私にはありました。

 

 

自分の生き方を見つけるまで

 

歩いている女性

 

私は、自分の生きる選択を自分でしてきませんでした。

そのため、大学に入り、自分で選択していくことが上手く出来ずに疲れ果ててしまいました。

  • 沢山の情報のある大学生活に疲れる
  • 選択することに疲れる
  • 何をしたいのか分からなくなる
  • 泣きじゃくる母親に絶望する
  • 疲れ果てて「うつ病」になる

 

大学1年生の6月頃から、少しずつ調子を崩していきました。

  • 段々と集中力が落ちる
  • 記憶力が落ちる
  • 心がぼんやりとする
  • 眩暈や吐き気がする
  • 漠然としたからだの不調

 

 

英語の単位を落とし、多くの科目も追試で何とか乗り切ったような状態でした。

 

後期の授業が10月に始まって、なんとか学校には通いましたが、11月には限界を迎ました。

 

講義中に、体調が悪くなり、早退して帰ることを決め、家までたどり着いたら気を失って倒れていました。

 

 

「これはダメだ」と思い、母親に頼み込み、メンタルクリニックを受診。

 

「うつ病」の診断。

 

 

うつ病の薬の副作用で、ふらふらになりました。それでも、学校を休む選択を出来ませんでした。

後期分の1月のテストは受けても落ち、受けに行くことすらできなかったテストが多かったです。

 

大学の相談担当の教授の所へ行き

「大概の事はなんとかなる。人殺しさえしなければ大丈夫だ。」

と謎の言葉をかけられ、1年間の休学を決断。

 

 

その後、すぐに体調が戻るわけもなく、結局2年休学しました。

 

今日はここまで。続きはまた明日。

 

ではでは。

 

 

 

 

てむたむ
てむたむ
次回は、うつ病になってやっと気づけた自分らしく生きる生き方についてお話ししますね。

>>>やりたいことを見つける方法。大学でうつ病になって気付いたこと。

 

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