思いこんにちは。てむたむ(@temtam8)です。
前回は、どう生きていいのか分からなくなった私が、自分らしく生きる選択をしていけるようになるまでの体験を「やりたいことを見つける方法。大学でうつ病になって気付いたこと。」でお話ししました。
私の、ブログをはじめるまでのエピソード
今回は、
- 復学した時の話
- うつ病やパニック障害と折り合いをつけたこと
- 好きなアルバイトを見つけたこと
- 精神科作業療法士になる夢を叶えたこと
- 母親との共依存関係を断ち切るために1人暮らしを始めたこと
をお話しします。
うつ病になっても、治療をして、ゆっくりと自分の生き方を見つめ直せてよかったと、今は確信をもって言い切れます。
うつ病になって悩んでいる方の参考になればと思い、今日は自分の経験を綴ります。
復学してから、好きなアルバイトに出会う
休学中は、「うつ病」なのに、無理をしていたので、
- パニック障害
- 適応障害
- 気分変調症
- 自律神経失調症
を併発して、死ぬほど苦しい思いをしました。
サークル活動にアルバイト、カウンセリング、自己分析と、慌ただしい休学期間の2年を経て、無事復学しました。
どうしても、母親との距離を取りたかったのですが、1人暮らしの希望を話したら、共依存のため、強い引き留めに合いました。
- 「ゴミ屋敷になるから無理だよ。」
- 「1人で生活なんてできるわけない。」
と心配する素振りで、引き止められ苦しかったです。
引き止めを乗り越えて、家を出た自分を今となっては本当によく頑張ったと褒めたいです。
金銭的に厳しい状態だったので、学費は半額免除の制度を使いました。
大学の寮なら、金銭的に厳しい学生を優先的に入れてくれるというチラシを見つけ、ワンルーム1万3千円(電気代込み)の学生寮に、強引に申し込みをし、無事通過。
通過してしまえばこっちのもので、引っ越しをし、初めて家を離れました。
寮は、学校のすぐ近くだったので、
- タリーズコーヒーのアルバイト
- 学校の図書館の受付のアルバイト
も合わせて開始しました。
タリーズコーヒーでアルバイトを始めたのは、人と関わりたかったからです。
渡す側になってみたい気持ちから、時給はとっても安いけど、やってみたいなという気持ちがあって始めたアルバイトでした。
私って何が好きなんだろう、何をしたいんだろう
と、分からなくなっていた時に、出会えた、「私がやりたいこと」でした。
(学校の図書館の受付アルバイトは週に1回の3時間限定のアルバイト。時給がいい上に、暇だったら勉強もできて、一石二鳥だったのでやっていました。)
復学後は、心理学・哲学にも手を伸ばす
復学後は、自由選択でとれる授業は、心理学や哲学の授業を中心に受けました。
自分で受けたい授業を選んで、自分で学びに行く。誰も見てないからサボることだってできるし、やりたいようにできる。
そんな中で、少しずつ少しずつ、1人暮らしをしながら、自分のために自分の人生の時間を使うことを覚えていきました。
この頃に、
- ニコニコ動画にハマった
- ニコニコ生配信にハマった
- アルバイト代で機材をそろえて弾き語り配信や歌ってみた動画をアップした
- 音楽を編集していた
- ニコ生友達に関東まで会いに行って、セッションをした
というのは、黒歴史であり、一生の思い出です(笑)
今でも、連絡を取りあっている仲間がいて、その頃には学生だった私たちも、ライフステージを進んでいっています。
- 就職した
- 自分のお店を出した
- CDを出した
- 家を建てた
- 親になった
それぞれの夢を叶えていっています。
それでも、何年かに1度は集まって、一緒に音楽活動を出来るのはとても嬉しい出会いであり、大学時代に勇気を出して夜行バスに一人で乗り込み、関東まで会いに行ってよかったと思っています。
大学を7年かけて卒業
大学1年生の時に「うつ病」になり、他の疾患も併発しました。
その後2年間の休学を経て、復学し、さらに4年間かけて卒業をしました。
4年生になると、病院実習が5か月間続きました。
どこの実習地へ飛ばされるか分からない状態だったので、大学の最終学年は実家へ戻る選択をしました。体調を崩しながらも、実習を乗り越え、卒業研究をし、秋ごろから就職活動をはじめました。
就職先を考えた時に、またもや、ここで母親の引き止めに合いました。
「家から通える範囲」
という選択肢に絞らされ、何故か、私もそれに従うしかなくなりました。共依存って本当に怖い。
静かな環境で働きたかったのもあり、田舎の病院へ就職。
ここで、今の夫と出会いました。
お金を貯めて一人暮らしを始める
就職して、毎月家にお金を入れ、新車を買わされて作られた母親への借金も返済し、それでも着実に貯金をしていきました。
ボーナスも全額貯金へ回し、1人暮らしへの準備を着々と、こっそり進めていました。
休日はアパート探しに明け暮れ、
- 畳のあるアパート
- 2部屋以上あって、窓を開けて風を通すことが出来る
- 2階以上の部屋
- ガスコンロが2口ある料理のしやすいキッチン
- 大きな道路からは外れた静かな場所にある
という条件で探しました。
壁は薄くて、ボロくて、脱衣所もないアパートだけど、安くて住みやすい部屋に出会えました。
保証人の所のサインを頼み込み、叔父さんにも頼み込んでサインをもらいました。心配しているという名の引き止めを受けました。
こっそりこっそりと、毎日の通勤の時に段ボールを2つ運んで、降ろして帰ってくる生活を2週間続けて引っ越しを終えました。
引っ越し終わると、なんとも言えない解放感に抱かれるようで、職場も近くなり、まるで違う人の人生を歩き始めたような気持ちになったのを覚えています。
今日はここまで、また明日。
ではでは。
私の、ブログをはじめるまでのエピソード
次の話で、私の過去の話は終わります。母親との共依存から脱出をして、「普通の家庭」を築く夢を叶えたいと思い歩き出した話です。
>>>共依存から脱出して、「普通の家庭」を築きたい夢へ歩き出しました。
ではでは。