うつ、こころの病気

いつ、うつを抜けたのか振り返った。うつを抜けたきっかけを探して、昔綴っていたブログを読んでみた話。

一人の女性

「うつ」になった頃から、10年以上経ちました。

今は「うつ」を感じることなく、割と自分では幸せだなと思いながら暮らしています。

私って、いつ・どんなきっかけで「うつ」を抜けたんだろうと思って、過去に9年間綴っていた、自分のブログを読んでみました。

 

「うつ」の最中は、いつ「うつ」から抜け出せるんだろうって不安になりますよね。

症状や、うつからの抜け方は人それぞれですが、いち個人の体験談として、何か参考になるものがあれば幸いです。

 

特に手っ取り早く

  • うつから抜ける方法
  • うつを抜けるためにやってみたこと
  • うつをぬけたきっかけ
  • うつを抜けるコツ

を紹介しているわけではないので、明確な答えを探している方は、ブラウザバックしていただいたほうが賢明かもしれません。

 

この記事はこんな人におすすめ

  • うつを抜けていることに気付いた話を聞きたい人
  • うつを抜けたと感じた時の話を聞きたい人
  • うつを抜けてしあわせに暮らしている人の話を聞きたい人
  • 生きるということに悩んでいる人
  • 挫折・失敗しまくりの人生で、どう生きていっていいのか分からなくなっている人

 

 

うつになった頃の話

私は、2006年、大学に合格して数か月経った頃に「うつ病」と診断をされました。

大学に通い始めて、アルバイトをはじめて、サークル活動もはじめて、忙しくも、充実した大学生に見えるような頃、「うつ病」との診断を受けました。

 

異変を感じたのは、5月か6月頃。

授業の内容が頭に入ってこない、覚えられない、そわそわするという感じ。

 

「有名大学に入学したから、周りの同級生がとても頭がいいから、必死にやらないとついていけないんだ」

 

そんな風に思っていました。

同級生の中には、教科書を1回見れば、全部覚えられるという、強靭な記憶力モンスターみたいな女の子もいました(その子は、すぐに覚えられるけどすぐに忘れちゃうんだけどねと笑って話していました)。

 

頑張らないと、私の持っている能力ではついていけないんだと、そう思って一層努力しました。

 

必死に勉強・アルバイト・サークルに取り組みながら、大学1年生の前期の日程のテストを乗り越えました(元々苦手だった英語の単位を1つ落としました)。

 

夏休みに入っても、実習や課題がありましたが、体調が少し良くなったのを覚えています。

 

後期日程に入ると、再び体調が悪くなり、通学するための電車に乗っていると、息が苦しくなったり、涙が止まらなくなったり。

 

通学中だけでなく、授業中にも同じような症状が出るようになり、ある日、あまりに体調が悪くて、早退をしました。

 

「このまま授業を受けていても、頭に入らないし意味がない」

と感じて帰ったのを覚えています。

 

家に着いたところまでは覚えているのですが、ハッと気づいたら夜。

布団の上で、気を失うように寝ていました。

 

「このままでは、いけない」

 

と思い、近くの心療内科に行きました。

 

「うつ病」「パニック障害」の診断を受け、薬が処方されました。

 

「うつ病」「パニック障害」の診断を受け、涙が止まらない・過呼吸になるという状態でも私は通学を続けました。薬を処方されてからも、私は、何も生活を変えることが出来なかったんですよね。

 

今思えば、高熱を出しているのに、学校に通い続けていたんだと感じます。

 

その後、症状は悪化し、後期のテストは、ほとんど受けられない状態でした。

そして、無理をしたツケとして、2年間休学し、その後4年間かけて無事に大学を卒業しました。

 

その後、「自律神経失調症」になったり、「気分変調症」と診断名が変わったりと、色々ありました(ODしたり、本気で死ぬかと思う行動を自分で取っていたり)。

 

今は、穏やかに過ごせていますし、ほとんど薬を飲むこともなく、弱い薬を少量処方してもらいながら、過ごすことが出来ています。

 

うつを抜けたと感じた頃の話

「うつ抜け」に関して、ふと振り返ってみようと思い、2006年から2015年まで綴り続けた無料ブログを読み返していました。

 

医学部で精神科の分野に強く興味を持っていたので、自分のうつの経験やその時に感じていた感情を綴っておくことで、後々誰かの役に立つのではないかと覆って、綴り続けていました。

 

綴っていた頃は、ツイッターがなかった時代だったため、ツイッターのように短文で綴っていることも多かったです。

 

頭がまわっていない状態だったので、自分で無料ブログを読み返してみても、何のことを書いているのか、訳が分からない記事もかなり多くみられました。

読んでいて、自分が苦しくなることも。

 

ブログの新しい記事から表示されるので、気になったものからパラパラと見ていくと、就職した頃の記事に、

 

「最近、病気のこと書いてない!」

 

と書いてありました。

 

うつ抜けってこういうことかと。

 

うつになってから、「うつ抜け」をしたであろう、その記事まで9年。

 

医学部で精神科の勉強をしながら、認知行動療法を自分で自分に行いながら過ごしてきた9年。

気がついたら、「うつ抜け」をしていたようでした。

 

うつは治るものではないというのは、分かっていましたし、自分の考え方の癖や生き方を修正していかなければ、また繰り返すと思っているので、「治った」とは思っていないですし、その後も、色々ありましたけどね☆

 

ただ、その「うつ抜け」に自分で気づいた頃から、

 

「そういえば、体調いいじゃん」

 

と思っていたり、

 

「低空飛行くらいで生きていくのが私には丁度いい」

 

と思うようになり、自分なりの生き方のコツをつかんで生活できるようになったなぁと、今振り返れば感じます。

 

「生き方のコツ」は人によって違いますし、どう生きたいかによっても違うので、誰かにアドバイスするなんてできないんですけどね。

 

私の場合は、頑張りすぎてエンジンをかけて活動しすぎると、その後燃え尽きたように、うつ症状のような状態に陥ることが多いので、

  • 頑張りすぎ注意
  • テンション上げすぎ注意
  • ハメ外しすぎ注意

 

みたいな感じで、平均より低空飛行くらいで、楽しくゆるゆると過ごせるのがいいんだろうなぁと、感じています。

 

それでも、頑張ることが好き、楽しい時ははっちゃけたい気持ちになる時はあるもので、その後、寝込んだりしっぺ返しを今でも食らったりしてはいるのですが(笑)

 

 

 

うつにならなかったら、どんな人生だったのかと何度も考えた

「うつ抜け」をする前から、むしろ「うつ」になった頃から、ずっと考えていたことがあります。

 

「うつ」にならなかったら、どんな人生だったのだろうか

 

ということ。

 

有名大学に入り、医学部に入り、その頃の夢だった研究者になるために、大学院に進み、博士課程に進み、研究職に就けていたら。

 

そんなことを考えます。

 

「もしも」を考えても、仕方のないことなのですが、あまりにつらい時って「もしも〇〇だったら」を考えずにはいられない。

 

  • もしも、うつにならなかったら
  • もしも、うつ抜けしていなかったら
  • もしも、うつをもっと早く抜けて、大学院に行けていたら
  • もしも、大学院に行くという決断をしていたら

 

繰り返し、そのようなことを考えては、落ち込む日々が10年くらい続きました。

 

もしも、を考えるのは、「今」が充実していないからですよね。

「もしも〇〇だったら」を考えていても、何も変わらないんです。

  • 「今」がしあわせだったら
  • 「今」やりたいことを一生懸命やっていたら
  • 「今」の生活に目を向けることが出来ていたら

 

もしも、うつを抜けて〇〇していたらなんて考える必要はないんです。

 

それに気づけたのは、今の夫と結婚して、生活が安定してきてからでした。

「今」が充実して、生活が安定して、心が安定してきてから、ハッと気づきました。

 

  • もしも、うつを抜けて、大学院に行っていたら、
  • もしも、うつになっていなかったら

 

私は、今の夫と出会っていない。

今の生活はない。

 

今のしあわせな時間はない。

 

「今」が大事なんだって、気付いたのは、「今」が充実しているからなんです。

 

もし、これを読んでいるあなたが、「もしも、うつにならなかったら」「うつを抜けられなかったらどうしよう」と悩んでいるのだとしたら、「今」の自分にできることに集中するのが大切です。

 

「うつ」になっている最中って、めちゃくちゃしんどいです。

  • 本気で死ぬかと思います。
  • 本気で死にたくなります。
  • 本気で死ぬ行動をします。

 

それすらできない時は、重力に負けるほどの身体の重さを感じます。

食事も食べる気がしないし、味もしないし、顔の筋肉すら動かないし、ましてや布団から起きる気も、お風呂なんて持ってのほか。

 

私の、こんな文章を読むことできませんよね。

 

もしもを考えるのは、否定しませんし、私も10年ずっとやってきたので考えてしまうのは仕方ないと思います。

今、うつの中にいるのであれば、生き残ることを考えて、ただただ嵐が過ぎ去るのをシェルターで待つかのように、休みましょう。

 

 

病気にならなかったら、いい人生なのか

「今」がしあわせだから、そんなこと言えるんだよ。

と、昔の私が行っているような気がします。

 

「今」たまたましあわせだから、そんなこと言えるんだよ。と。

 

うつを抜け、無事に就職をし、結婚をし、しあわせに暮らしていて、思うことがもう1つあります。

 

病気にならなかったら、いい人生なのか。

 

ということ。

 

就職して、中堅どころになったところで、私は突然「ネフローゼ症候群」という難病になりました。

この記事を書いている今は、病気の治療のために仕事をすることが出来なくなり、退職をし、1年で3回も再発をし、1年間で70日も入院をしていました。

 

治療法が確立されていない「難病」になるとは、自分でも思い描いてもいませんでした。

うつ抜けをして、色々な考えを頭をよぎる中、

 

病気にならなかったら、しあわせなのか

 

と、考えていました。

 

私の中では、答えはNOでした。

 

病気になったからこそ、見つけた世界があり、見ることが出来た世界があり、世の中の見え方が変わりました。

 

生きている世界が同じでも、人は1人1人、自分が見たいように世界を見ています。

 

私は、病気になったことで、ずっと自分の中に抱えていた、実家との関係性を断ち切る決断をすることが出来ました。

 

親に感謝しなさい、親を旅行に連れていけ、と職場の先輩や上司から、「当たり前」のように言われる中で、こじれていた実家との関係性に苦しんでいました。

 

でも、突然「難病」になった中で、歩けなくなって、腹水が溜まって、座っていることも出来なくなった時に、

 

「死んでも知られたくない」

 

と思ったんですよね。

 

この時に、私、「うつ」からもう1歩抜けられるのかもしれないと感じました。

 

自分の生きたい人生を、自分のために生きよう。

と思い、

自分の大切な人をしあわせにしよう。

と思いました。

 

自分の大切な人をしあわせにするためには、自分がしあわせでいることが大前提。

逆の立場で考えたら、自分の大切な人が「自分で自分を大切にできていない」状態だったら悲しいですよね。

 

自分で自分をしあわせにする

 

ということが大切だと、気付いたんです。

 

病気になったことがきっかけで、「うつ」をぶり返すきっかけになりがちだった、実家や家族との問題を、切り離す決断をするきっかけになりました。

 

だから、

 

病気にならなかったら、いい人生だったのか。

 

と聞かれたら、NOと答えます。

だって、病気にならなかったら、また「うつ」を繰り返していた可能性もあるから。

 

人生を変えるきっかけは、どこにどう待ち構えているか分かりません。

 

まぁ、それをどう受け止めるか、どう変えていくのか、どう変わっていくのかは、ひとそれぞれですけどね。

 

挫折をしないことは、いい人生なのか

色々な経験をし、失敗をし、挫折をしてきました。

20代になってから、20代の大半は、挫折だらけでした。

失敗だらけ、友人関係も、恋愛関係も、就職も、仕事も、失敗・挫折・挫折・挫折。

 

特に、人間関係は、酷いものでした。

人脈を作っては、ろくでもない人につかまったり、騙されたり、ろくでもないことをしたり。

相手も、ろくでもない人に捕まったと思っていたこともあるでしょう(汗)

精神的にも、安定している状態ではなかったので、恋愛関係は、本当にろくでもないものでした。

たくさん傷つけ、悩み、人間関係クラッシャーになっていたような時期もありましたね。

 

「うつ抜け」をするまで、大いに迷惑をかけまくってきました。

就職してからも、結婚してからも、今でも、結構な迷惑をかけまくっているのですけどね。

 

迷惑をかけた方々には、大変申し訳ないのですが、挫折しない人生なんてつまらないと思っています。

 

今はね。明日どう思っているのかなんて分からないですが。

失敗しない人生、成功だらけの人生なんて、つまらないと思いませんか?

80歳のおばーちゃんになった時に、

「私の人生ってこんなことがあったのよ?」

って笑えたら面白くないですか?

 

人を殺さず、人を騙さず、暮らしていけたらいいのではないでしょうか。

挫折したって、失敗したって、それも自分の大切な人生の一部なんではないでしょうか。

 

まぁ、大きな借金を抱えるとか、殺されてしまうような失敗はごめんですが。

 

生きるということは、どういうことなのか

「私って、いつうつを抜けたんだろう」と思って、昔のブログを読んでみて、色々思う所がありました。

 

「うつ」になったり、「うつ」に戻ったり、うつを抜けたり、難病になったり、人間関係クラッシャーになったり、退職したり。

 

「あっ、やっば、パニック障害に戻りそう」って思ったりすることも、最近ありました。

精神医学を大学で学んで、精神医学系の研究室に入って、精神科で何年も働いて、病名なんて、ぶっちゃけ関係ないんですよね。

その症状、その人が困っていることに、病名を当てはめているだけで。

  • 病名がないと、薬を出すことが出来なかったり、
  • 病名がないと、診断書を書くことが出来なかったり、
  • 病名がないと、ある程度のセオリーに沿った治療を治療者の中で統一できなかったり

もちろん、ある程度の道筋はあるのですが、その人が、どう生きたいのか、どんな困難さを感じているのかが一番大事なこと。

 

それでは、

  • 生きるってどういうことなのでしょうか。
  • 生きるとは、なんなのでしょうか。

 

私にとって、生きるとは

 

「この世界にホームステイしている時間」

 

です。

 

どこかの世界から、ふわっと遊びに来ているんです。

遊びに来ている間くらい、もっと軽やかに、楽しく過ごしてもいいんじゃないでしょうか。

 

人と比べても、1個体の生物としては比べることは出来ないです。

ましてや、どうやって生きていきたいのかも、一人ひとり違うのですから、何も比べることは出来ません。

 

私は、私の生き方を。

あなたは、あなたの生きたい人生を、あと何年か生きるのかはわかりませんが、過ごしていけたらいいのではないでしょうか。

将来を見据えて過ごすことももちろん大切ですし、大事にしたいことです。

「今」を大切に過ごすことができたらいいのではないでしょうか。

 

他人から「不幸だね」と言われるような状況になっていることは、自負しておりますが、私は、今しあわせです(‘ω’)

 

まっ、お金のことは心配ですけどね(‘ω’)切実に。

 

うつを抜けたい方は、まぁ、こんな感じで過ごしている私のブログでも見て、こんな人もいるんだなと思ってもらえれば幸いです(‘ω’)

 

とにかく生き残れっ。

 

 

ではでは。

 

 

私の家族・親との関係については、五話に渡って、過去に書いた記事があるので、興味がある方は、読んでみてください。

第一話はこちらからどうぞ。

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