こころ

闘病記を書く意味・意義について、ニャンちゅうの声優の津久井教生さんのブログを見て感じたこと。

闘病記

こんにちは。てむたむです。

今日は、あるブログの記事を見つけました。

 

ニャンちゅうの声を担当していた、津久井教生さんのアメーバブログの記事です。

皆さんに聞いてほしいこと♪」という題名で、ALSになったことを書かれていました。

 

 

私も、病気のことや、今感じている気持ちについて、このブログで書いています。

なにか、自分と重なる、重ねてしまう所があり、気持ちが揺らぎました。

 

津久井教生さんの闘病記に心がゆらいだ理由

津久井教生さんの闘病記で、心がゆらいだのは、津久井さんが

 

津久井教生は「ALSとつきあいながらしっかりとお仕事や生活をしていく」つもりです。

皆さんに聞いてほしいこと♪」より

 

と綴っていたからです。

 

本当に歩くのに難がある以外は元気なのです♪
素敵な力が「声」を残して下さっている状態です♪

皆さんに聞いてほしいこと♪」より

 

と、書かれているように、残された「声」を使って、お仕事を続ける姿に心打たれたからです。ALSは進行性の病気です。

歩けなくなっている今、さらに、進行していくことが分かっている病気です。

「声」を残してくださっている状態の今、お仕事をしていく、と津久井さんは語られていました。

 

先が、見えないどころか、絶望じゃないのか?と思うような状況でも、前を向いて、顔を上げて、歩いてゆく姿に、励まされました。

 

「つらさ」は人と比べるものではないですが、ネフローゼ症候群になっても、私には、歩ける能力がある、旅行にも行ける、一生付き合っていかなければいけない病気だけれども生きていける未来もある。

「私も、前を向こう」と思わせてくれたのです。

前ばかり向いていることも出来ないし、落ち込むときだって、しんどい時だって、泣いている時だって、たくさんあります。

でも、「私も、前を向こう」と、力をもらいました。

 

津久井さんの、姿に「一人じゃない」と感じられたから、「生きよう」「毎日を楽しもう」と思わせてもらい、心がゆらぎました。

 

言葉の力って、姿を見せるってすごいね。

 

 

わたしがネフローゼ症候群の闘病記と日常をブログに書いている理由

わたしのブログが、誰かの力に、僅かでもいい、一瞬でもいい、誰かの力になれたらいいな。なんて、思って、ブログを始めた一人です。

ネフローゼ症候群になって、再発した時に、ブログを始めました。

これから、どれだけ、再発や入退院を繰り返すのだろう…って絶望のどん底だったからこそ、ブログを始めるエネルギーが湧いたのかもしれません。

 

今考えれば、

  1. 自分の悩みや、つらいことを書きだして、自分のこころを癒したかった
  2. 「生と死」を強く意識させられた体験を、残してきたかった(自分史としての意味)
  3. 同じ病気の人へのメッセージとしての意味
  4. ナラティブとして残しておくことで、後々何かの役に立つのではないかという意味

 

この辺りが、闘病記かつ、日記として、書き残しだした私にとっての理由だったのでしょう。

【関連】ネフローゼ症候群を初めて再発して再入院した時の体験談

【関連】難病のネフローゼ症候群になって得られたもの。

「ネフローゼ妻 夫と一緒に家を建てる」というタイトルについて

闘病記かつ、日記として、自分の好きなこと、思い出を書き記しだしたブログのタイトルはしばらく悩みました。

今は、「ネフローゼ妻 夫と一緒に家を建てる」というタイトルで、続けています(ブログ名は、私のブログ上での名前の「てむたむ」です。)。

 

何故、この「ネフローゼ妻 夫と一緒に家を建てる」というタイトルにしたのかということについて少し触れようと思います。

 

「ネフローゼ妻 夫と一緒に家を建てる」というタイトルをつけた理由について

ブログタイトルを話すには、発病した頃のことをお話しさせてください。

発病したのは、丁度、今頃、去年の10月でした。

夏ごろまで、夫との仲が上手くいっていない時期がありました。

色々と話し合ったり、お互いに改善できるところを改善したりしている中で、別れずに、妊活をして、家を建てようという話になりました。

妊活と、注文住宅の資料を集め始めたのが、去年の9月でした。

そして、10月にネフローゼ症候群を発症しました。

 

発症してから、色々なブログを読んでいる中で、私が、妊活や注文住宅を建てることを叶えることが出来たら、誰かの救いになるのではないかと、自分のやりたいことが出来ました。

 

仕事ができなくなった中でも、

  • 再就職をし、
  • 病状を落ち着かせ、
  • 妊活をし、
  • 注文住宅を建て、
  • 夫と幸せに暮らしている

ブログがあったら、素敵じゃないか。そんな夢を描くことで、自分を奮い立たせていたのかもしれません。

このブログが、完成するのは、私の夢が叶った時です。

 

このブログの更新を止める時には、「育児で忙しくて、毎日過ごしています」とハッピーエンドで止まっていることを願って、ブログを始めました。

 

だから、「ネフローゼ妻 夫と一緒に家を建てる」というタイトルがつきました。

こんな1個人のブログなんて、誰が読むのだろうなんて思いもありますが、自分の決意のブログでもあったのです。それに、私を救ってくれたブログは、ネフローゼ症候群でも日常生活を普通に送りそれを綴っているブログだったから。

 

【関連】「失敗を誰かのために話す練習」が生きる意味を失っていた私を救ってくれました。難病インタビューを受けて。

【関連】【暇つぶし】自宅療養中に暇で暇で何をしたらいいのかわからなかった私がこの1年やったこと

有名人でもない一個人が書く闘病記のブログに意味はあるのか

津久井さんは、いわゆる「有名人」です。

知名度がある方が書く、闘病記は、大きな影響を及ぼします。

たくさんの方の力になるでしょう。私も、心ゆさぶられたように。

では、私のような、ただの一個人が闘病記のブログを書くことに意味はあるのかと考えます。

 

誰かの救いになりたいなんて、おこがましいにも程がある。

 

そんな風に思うこと、何度もあります。

それでも、私のブログが役に立った、参考にして見ていると声をかけてくださったり、一緒に頑張りましょうとコメントを下さったりする方々がいました。

そういう声に、私が励まされています

誰かのために、ではなく、自分のために書いてもいいのではないかなと思います。

自分を癒すために、闘病記をブログで書いていく、好きなことや楽しいことも書いていくことに、意味はあると感じています。

 

そして、コメントや、ツイッターでのお声かけに、心から感謝しています。

 

「患者は何故語るのか -闘病記の利他性に注目して-」を読んで

最後に、今日読んだ、亀田医療大学の足立智孝教授の「患者は何故語るのか -闘病記の利他性に注目して-」より、闘病記を書くことについて、元作業療法士としてどう考えるのかを考察して、今日のブログを終わりたいと思います。

 

 

自分を癒すための闘病記・ブログ

 何かを書き付けなければいられない衝動が急激に湧き起こったのだ。とにかく書かなければ、記録しなければ生きている証しが消滅してしまいそうだ。自分がとんでも ない方向に走り出してしまう恐れがあった。書くことが私を落ち着かせてくれそうな気がした。

患者は何故語るのか -闘病記の利他性に注目して-」より

 

という記載があります。

再発して、「このまま死ぬのかもしれない」と絶望を感じた時に、書き始め、書くことで、自分を癒していました。不安や状態を書きだすことで、第三者の目線から見ることが、私を救っていたのかもしれません。

 

また、苦悩や、先の見えない治療からくる孤独感という思いを吐き出さずにはいられないという状況が、私を、ブログに向かわせているのかもしれません。

【関連】自宅での長期療養が気持ちやこころに及ぼす影響について。本人の場合。

 

生活史、成育歴としての闘病記、ブログ

 医療従事者は忙しいあまり、自らの仕事が「細やかな気づきと十分な責任」を持てるようにと気を配る暇がないのではないか。たとえば、想像したり、患者の気持ちになろうと想像的に同一化し過ぎると、道徳的あるいは職業的な麻痺を引き起こすかも しれないなどと。しかし、もし、医療従事者が患者に大きな影響を与える決定に対し て最終責任を持とうとするならば、単なる医学的観点からだけではなく、それぞれの 患者の持つ物語的な文脈を尊重すること自体が、医療者の判断材料になるということ をしっかりと理解することが重要である。

患者は何故語るのか -闘病記の利他性に注目して-」より

 

という記載がありました。

私は、6年、精神科や老人保健施設で、作業療法士として働いてきました。

仕事の中で、作業療法士が重要視するのは、その人の、「生活史・成育歴」です。

今の状態を把握し、その人がどのような環境で生きてきたのか、どのような人と生きてきたのか、どのような体験をしてきたのか、を大切にして関わります。

その人が、物事をどうとらえるか、どういう考え方の癖があるのか、どんな人といると落ち着くのか、ということを把握し、今のその人にアプローチするためです。

 

その人の、物語を知ることは、その人を理解するのにとても大切です。

私が、作業療法士だから、自分自身を客観的に理解するために、書き始めたということも、あるのかもしれません。

 

感情や、体験は、徐々に歪んでゆき、時には美化されたり、強調されたりしていくものです。その時の、ナラティブ(語り)を、書き記しておくことは、大切なことです。

【関連】自分の好きなものが分からなかった私が「自分の好き」を集めたブログをはじめました。

【関連】「死ぬまでにしたい100のことを書くノート」でやりたいことを明確にしてみよう。やりたいことを叶える人生に。

 

揺れ動く心の在り様を素直に綴っている闘病記・ブログ

「病気に敢然と立ち向かって勝ち抜いた勇敢な患者」の姿を描こうとしたわけではない。這いつくばるように乗り越えた現実、揺れ動いた心の内を素直に表現したかった。先が見えない暗い霧の中にいても、笑ったり幸せを感じたりしていたことも伝えたかった。

患者は何故語るのか -闘病記の利他性に注目して-」より

 

という記載がありました。

私は、果敢に立ち向かっている、闘病記やブログを書き記すつもりは、はじめる時からありませんでした。私の気持ちを、ありのままに、素直に、書き記す場所を作ろうとしていました(振り返った時に読みやすいように整理しようとはしていました)。

 

先が見えない中、力強く前を向いている時、落ち込んでいる時、小さな幸せを感じている時、悩んでいる時、そんな素直な気持ちの揺れ動く様子を、記したかったのです。

人間、誰しも、心は揺れ動いています。

押しつぶされそうになることだって、今でもありますし、逃避している事もあります。

その、在り様を書くことで、自分自身に対して「一人じゃない」というメッセージを込めたかったのかもしれません。

 

果敢なヒーローではなく、たった一人の、小さな何もできない人間を、素直に表現することで、届けられる何かを表現しようともがいているのかもしれません。

【関連】プレドニンをやめたい・飲みたくないと思いました

 

さいごに

言葉にすることで気持ちの整理ができ、治癒効果が期待できる。病気になった時の不安を心の中に抱えているままの状態では、不安の正体が漠然としているが文章にすることで、不安の種類や優先順位が判明し立ち向かう用意ができる。

患者は何故語るのか -闘病記の利他性に注目して-」より

 

と書かれていました。

 

私が書くことで救われているのは、私自身です。

ブログじゃなくても、闘病記じゃなくても、言葉にして吐き出すことは、自分自身を救ってくれます。

過去の自分のブログに書いてある気持ちを見ることで、自分の足跡を見て、救われることも多々あります。漠然とした不安に襲われた時、過去にも同じようなことがあった時に綴っていた解決策って、また自分を救ってくれたりするんですよね。

 

身体がしんどくて、つらいなぁなんて思っていたら、「休めばよくなった」なんて書いてある自分の文章を見ては、「休めばいいんだ」と気付かせてくれる、そんな存在が、自分のこの闘病記、兼、日記ブログです。

 

楽しかったこと、好きなこと、を書いて、私って、これをやっていると心が軽くなるんだなって言う、コーピングリストのような存在でもあります。

 

 

津久井さんのブログを見て、ショックを受けたのと同時に、力をもらいました。明日は、ハローワークに行って、職業訓練のことについて、話を聞いてきます。

今まで、「仕事」「再就職」について考えるのが怖かったんです。難病だから、30代だから、再就職で落とされまくるんじゃないかって、向き合えなかったんです。でも、先日、ハローワークで予約をして、話を聞きに行こうと、勇気を出せました。

 

私にとっての、闘病記・日記ブログ・好きなことをあつめたブログを書く意味について今日はまとめました。

 

 

ではでは。

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