こんにちは。てむたむ(@temtam8)です。
1月に再発して、2月に退院してから、退職・自宅療養・ステロイドうつで、ほとんど家から出ない生活をしていました。
ステロイドうつも抜けてきて、徐々に体も楽になってきて、体力も少しずつついてきました。
夢だったバックパッカー旅行をすることに決め、行ってきました。
行き先は、九州。
どこに泊まるのか、どこに行くのかは、あまり決めず、持ち物も最低限の量で出発しました。
私の周りには、ネフローゼ症候群になっている人はいません。
そんな日々の中で旅行に出かけ、旅先で色々な人と「ネフローゼ症候群の私」ではなく「私」として交流を持つ中で、「私」を感じ帰ってくることが出来ました。
寛解中で、働いている方、自宅療養をしている方、他の治療法をしている方、ネフローゼ症候群は一人ひとり治療方針も異なります。
私の今回のバックパッカー旅行が誰かの参考になるかと考えると、どうかなと思う節もあります。
でも、私自身が他の方のブログで救われたように、もしかしたら、こんな人もいるんだと、思って、少しでも何か力になれたらと思い、今日はブログを綴ります。
簡単な私のネフローゼ治療紹介
2018.10 微小変化型ネフローゼ症候群発症(20日間で寛解・退院)
2019.1 プレドニン15mgで再発・再入院(20日間で寛解・退院)
2019.2 プレドニン40mg、シクロスポリンカプセル125mgにて通院治療スタート
2019.6 プレドニン20mg、シクロスポリンカプセル110mgまで再発せずに減薬中
(食事制限・運動制限なし、副作用が強く出ているため激しい筋トレは禁止)
バックパッカー旅をしようと思ったきっかけ
旅行に行きたいという思いはずっとありました。
ステロイド筋症のため、歩きすぎると筋力が低下していて、すぐに足がつりやすい状態でした。それでも、毎日散歩を少しずつはじめ、体力をつけ、1日3,4kmなら歩けることが分かりました。
無理をしなければ、夫に迷惑をかけず、1人で旅行にいけるかもしれないと思い始めたのがバックパッカー旅行に行こうと思ったきっかけです。
会いたい時に会いたい人に会いたい
ネフローゼ症候群になってから、会いたい時に会いたい人に会えるというありがたさを身に染みて感じました。
歩けなくなったり、寝たきりになったりした時は、「あの人にはもう一生会えないのかもしれない」と、やってこなかったことや、後回しにしていたことを後悔しました。
私には会ってみたい人や、また会いたい人がいました。
だから、私は、旅行へ出ることを決めました。
やりたいことを叶えたい
会いたい人がいるという強い動機もありましたが、行きたいところが私にはありました。
それは、長崎の「佐世保の海」です。
私は、病気になる前は、老人ホームで作業療法士として働いていました。
そこには、佐世保が大好きなおばあちゃんがいました。
会うたびに、「佐世保はいいとこよー。海も綺麗で、山も近くにあって、坂道を走り回って、海沿いも走り回ってたの。」と何度も何度も聞いていました。
「佐世保の海」を見に行く、山や坂を感じたい、という夢を叶える旅でもありました。
ネフローゼ症候群でも人生を楽しんでいる人たちがいる
ネフローゼ症候群になっても、苦労しながらも、仕事をしていたり、難病になったからこそ支援者側の仕事についていたりする人たちを、ツイッターやブログで見つけました。
特に、発症したての頃に見つけた「田中知美さん」の生き方や、発信している様子には、心打たれるものがありました。
「だから私はチャレンジする」
「2015年の秋に再発したとき、ふと『残りの人生で、あと何回入院すればいいんだろう』、『いつまで薬を飲み続ければいいんだろう』と思ったんです。そうしたら、病気が悪化するとまずいからここまでにセーブしておこう、とか、人生そのものにセーブをかけていくような生き方になっていたことに気づいて、心底嫌になった。病気に人生や夢まで奪われたくない。ならば、これまで諦めていたことにどんどんチャレンジしよう。そう決意しました」
私は、私のやりたいことを叶える人生を歩もうと、難病になったからこそ、強く意識するようになりました。
わたしも、人生を楽しんで、発信したい
やりたいことを叶え、私もチャレンジし、楽しみ、発信したいと思い、ブログを入院中に始める決心をしました。
ワードプレスも、サイト運営なんてものも、なにも知識がなかったので、見よう見まねで、何でもいいから、綴ってみようとブログをはじめました。
ブログでなくても、ツイッターでも、私自身が、やりたいことを叶えていく、その姿が誰かの力になるのではないかと思い、旅行中も思いっきり楽しんで、泣きたい時は素直に泣いて、弱音を吐いて、過ごしました。
そんな風に過ごすことが、過ごす姿が、私が力をもらっているように、誰かの力になるかもしれないと思っています。
だから、旅に出ました。
旅行に出る時に注意したこと
私の場合は、激しい筋トレを禁止されている以外は、きちんと薬を飲んでいれば注意することはありません。
ただ、薬の副作用が強いので、疲れやすかったり、目が見にくかったり、筋力が落ちていたりと注意することはたくさんありました。
荷物は軽く、身体の負担も軽く
疲れやすさや筋力低下があるので、どこでふらっとするか、どの程度で疲れ果ててしまうかは自分自身でも未知の領域でした。
そのため、荷物は最低限にすることに決め、LCCの規定の7kg以内にすべての荷物を収めることにしました。
そうすることで、移動時の身体の負担も軽くすることができました。
ラゲッジチェッカーは1つあると便利です。
疲れたらすぐに休む
いつ調子を崩すのかが、わからなかったので、とにかく「疲れた」と感じたらすぐに休むというルールを決めました。
- 歩き疲れたら座る
- 人と話すのに疲れたら、話さない・寝る
- やりたくないことは、無理して頑張ってやらない
- 行きたいところがあっても、疲れていたら諦める
元々無理をしがちなので、「疲れた」と感じた時には、既に、限界突破している場合が多いです。
そのため、「疲れた」と思ったら即座に休息をとるようにしていました。
無理をしない
「疲れた」と思ったらすぐ休むことを心がけていました。
さらに、無理をして予定を詰め込みすぎないように心がけました。
やりたいことを効率よく叶えていくことも大切ですが、無理をしては意味がありません。
無理のない予定の組み方をよく考えて、過ごそうと、自分ルールとして決めていました。
調子が悪くなったらすぐに帰る
旅行を決意した時に最初に決めていた自分ルールは、少しでも体調に異変を感じたら、すぐに家に帰るということでした。
そのため、旅行の日数も決めず、帰りの飛行機も取らず、宿も最初の3泊分だけ予約をして、調子を見ながら、その日その日に宿や予定を決めていきました。
そうすることで、どうしても調子が悪くなれば、どこからでもすぐに帰路につくことができます。
働いていないからこそ、無駄なく、節約しながら、それでもリスク管理をしながら過ごしたかったのです。
自分の気持ちに正直に過ごす
ネフローゼ症候群になってから、「病気だから~しない」「しょうがない」「我慢しないといけない」「働いていないから申し訳ない」「治らないかもしれないから節約しないといけない」と、色々な気持ちを押し殺して過ごしてきました。
旅行中は、立ち止まって花を見たければ見たいだけ眺め、写真を撮ってほしい人には一緒に写真を撮ってもらい、お礼を伝えたければ素直に感謝の言葉を口に出し、悲しくなったら泣いて、…そんな風に過ごしました。
自分の気持ちを抑える過ごし方をしていると、自分の気持ちが段々と分からなくなってくるものです。
だから、旅行中は、自分の感じたこころを大切に過ごすことを心がけていました。
やりたいことを、楽しむ
自分のこころを大切にすることも心がけ、とにかく、その瞬間瞬間を楽しもうと思っていました。
アドラー心理学の「今、を強く意識する」ということを心がけて過ごしました。
「過去・未来」にとらわれて生きるのではなく、今この瞬間をとにかく楽しもうと決めていました。
心配してもしょうがないことを心配して、過ごしても何も得られないですからね。
薬・お薬手帳など、何かあった時にすぐ対処できるように準備をした
旅行中に1度薬の量を間違えてしまったトラブルがありました。
私の服用している、プレドニンとシクロスポリンカプセルは飲み忘れると離脱症状が出る薬のため、飲み忘れに気付いて、かかりつけの薬局へ電話して問い合わせました。
特に、大きく体調を崩すこともなく、過ごせたのでよかったです。
もし、倒れた際に、お薬手帳を持っていれば、薬を多めに持っていれば、旅行先でも対処が可能なため、薬・お薬手帳の準備をして出かけました。
旅行に出て、どうだったか
去年の発症以来9か月間の中で、難病になり、歩けなくなり、副作用が強く出て、休職し、退職し、家から出られなくなりました。
ムーンフェイスで人と会うのも嫌になりました。
鏡で、自分の顔を見るのも嫌になりました。
髪の毛は、どんどん抜けて、おでこから下は、髭が生えるほど多毛になりました。
そんな中、一歩前に踏み出せたのが、今回のバックパッカー旅行でした。
「ネフローゼ症候群の私」から「私」を強く感じる時間を持てた
発症してから、ずっと私は、「ネフローゼ症候群の私」でした。
何をするにしても、「副作用」「再発」が頭をよぎる日々でした。
旅行に出てからは、会ったことない人、行ったことない土地、初めての経験、すべてが新しく、普段の生活から離れた場所で過ごす日々でした。
そんな日々の中で、徐々に「ネフローゼ症候群の私」から「私」を再び感じ始めることが出来ました。
「私」はどう生きたいのか、「私」は何をしたいのか、なにを感じているのか。
旅に出たことで、「私」を強く感じる時間を持つことができました。
自分らしく、出会いを大切に過ごすことが出来た
知らない土地、初めて会う人だからこそ、自分らしく過ごすことが出来ました。
「私」は人が大好きなので、旅に出る前に、出会った人にあげるお土産をたくさん持っていきました。
お世話になった人や感謝を伝えたい人達に、その気持ちを少しでも伝えたかったからです。
会う約束をしていた人たちには、絵が得意な夫に頼み、夫が描いたポストカードを用意しました。
どんな人に出会うか分からないので、ブローチ・マグネット・ティッシュケース・韓国で買った顔パックを持っていきました。
受け取った方々が、どう感じるかは私には分からないですが、「あなたと出会えて、ここで話せてよかった。私と今日、出会ってくれて、話をしてくれてありがとう。」という気持ちで渡していきました。
受け取ってくれた方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
夢を叶えることが出来て自信につながった
元々、1人で旅行に行くのが好きなので、貧乏旅行には慣れています。
カナダにワーホリに行く夢もあったのですが、病気になったタイミングでビザもきれてしまいました。
海外旅行を気ままにするのも夢ですが、今回は体調の事もあり、国内バックパッカー旅行を叶えることが出来ました。
夢を1つ1つ丁寧に、叶えていく時間は、準備する時からわくわくしますよね。
自分で準備をして、調べて、色んな人と話をして、…療養中でも、夢を叶えることが出来て、自信につながりました。
自分自身で、自分のペースで、責任を持ち、行動する体験をした
療養中の身だから、行動を控え、家から出ることを避け、色々なことを制限してきました。
今回旅行に出たことで、どこまで何ができるのか、自分のペースを把握しながら、自分自身で責任を持ち、行動するという体験を久々にしました。
無理は禁物ですが、これからも一生付き合っていかなければならない、原因不明の難病、再発も何が原因なのかも解明されていないです。
行動を制限し続けるのではなく、自分のペースで、自分が生きたいように生きていく体験の第一歩になっていると感じています。
自分の生き方を見つめ直す時間を持てた
旅行に出たことで、自分の生き方をもう一度見つめ直す時間を持つことが出来ました。
「私」が何をしたくて、何が好きで、どうやって生きていきたいのか、を考える時間や機会が沢山あったからです。
色々な人の人生に出会い、話をし、そして、またいつ会うのか、会えるのかわからないサヨナラをするのです。
握手やハグをして、出会いに感謝する場面もたくさんありました。
私の人生はあと、何年続くのかはわかりませんが、大切な時間を、大切な人たちと過ごしたいと感じました。
はじめての国内バックパッカー旅行は、沢山の出会いに感謝の旅になりました。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
よい時間を、よい人生を。
ではでは。