こころとからだ

難病になったわたしを支えてくれたものは、ともに人生を歩いてくれる人

約2年前の秋頃、私は「難病」になりました。

病名は、「ネフローゼ症候群」。

それまで、身体の大きな病気をして入院なんてしたことなかった私にとって、入院生活も闘病生活も初めての出来事。

 

治療法が確立されていなく、原因はっきりと分かっていないのが「難病」。

サクッと治ってしまう人もいるのですが、私の場合は、強い薬も中々効かず、
休職→退職→先の見えない服薬治療を自宅で続ける→入退院を繰り返す
という状態で、2年ほど過ごしてきました。

 

元々医療職だったので、病気に対する知識や治療や病院内でのやりとりなどある程度知識はあったのですが、それでも不安に襲われること、孤独に襲われてつぶれそうになることがありました。

はじめての入院生活、強い薬の副作用との付き合いを支えてくれたもの

はじめての入院生活、出口の見えない治療、退院の目処の経たない入院、今まで飲んだことのないくらい強い薬。

私を不安という闇に沈めてしまうのには、十分でした。

はじめての入院生活を支えてくれたのは、夫の面会と、仕事に戻るんだという気持ちでした。

私の居場所、私を待っていてくれる人、病気になっても一緒にいたいと思ってくれる人、それらがいることは私にとっては大きな支えになっていました。

 

繰り返す再発、先の見えない治療が続く難病、そして退職

初発から、状態が落ち着き、薬の量が自宅で過ごしても大丈夫な状態になった時に退院をしました。

その後、少しずつ減薬をしていったのですが、私の「ネフローゼ症候群」は、何度も何度も強くぶり返しました。

薬を増やすたびに、どんどん副作用は強くなり、副作用に苦しめられる日々でした。

 

難病は、先の見えない治療が続く

「難病」治療においては、先の見えなさ、手探りの中医療者と共に患者も治療を進めていきます。

【これ】といった治療法がないため、一人ひとり、薬の効き具合を見ながら治療を進めていきます。

つまるところ、再発をするかどうか軽い治療から試していくということ。

患者サイドとしては、
「再発するか軽い治療から試さないで強い薬でサクッと止めちゃってよ!」
なんて、涙が出るほど思ってしまう事もありますが、強い薬・強烈な治療はリスクが伴うもの。

使わないでいいのであれば、使いたくない。

今飲んでいる薬も既に十分に強いのですが、それよりも強い治療があるんですよね。

 

再発を短期間で繰り返しているうちに退職

前職の職場は、半年ほど待ってくれていたのですが、再発を短期間で繰り返す私。

軽いぶり返し程度で終えることが出来る人もいるみたいですが、私の場合は、毎回毎回ひどいぶり返し方をします。

職場からも「治療に集中したら?」と言われ、退職することに。

 

【社畜】と言われたらそれまでなのですが、自分の役割を【仕事】に置いていた私にとっては、【居場所】や【役割】【やりがい】みたいなものをごそっと失いました。

 

長い自宅での一人ぼっちの療養生活【人と関わることは苦手でも癒されていた時間】

私は、人と関わることがあまり得意ではないのですが、人と関わることで癒されていました。

人間関係でめちゃくちゃ悩む割に、人がいないと寂しい。

引きこもりというよりも、色々なコミュニティーに属して活発に活動する方が好き。

そんな私にとっては、【仕事】から離れて療養をするとなった時に、何をしていいのか分からないという状態になりそうでした。

元々好きだった、保存食づくりに明け暮れ、少し元気になったらスポーツに取り組みました。

>>>【暇つぶし】自宅療養中に暇で暇で何をしたらいいのかわからなかった私がこの1年やったこと

>>>ネフローゼ症候群の運動と再発について考えてみました。よさこいをはじめて思ったこと。

 

ステロイドを飲んでいて見た目が酷い状態だとコミュニティーに入っていきにくい

元々繋がっていた友だちらに会うと、見た目がかなり変わっているため、「ギョッ」っとされました。

悲しくて仕方なくて、それまで属したことがないコミュニティーに属することにしてみました。

私の被害妄想かもしれませんが、ムーンフェイスで顔がパンパン、野牛肩・中心性肥満になっていて、顔もニキビだらけで赤ら顔の私を見る目は厳しいものがありました。

運動をして顔が赤くなってしまった時に「顔赤くなっちゃった」と話したら、「顔、最初から赤いじゃん」と言われたのは、かなりしんどかったです。

 

はじめて会う人でも、この見た目で、普通に接してくれる人たちが数人いたことにどれだけ救われたことか。

>>>ネフローゼ症候群の寛解中、減薬中(20mg)でバックパッカー旅行に行ってきました。

 

1年経つ頃に旅行を計画。出発当日に入院となった3度目の再発で完全に心が折れた

仕事を辞めて、友だちとも思うように会えず、副作用でフラフラして、パートやアルバイトにすら出られなくて、結構心は折れていました。

難病になって、新しい価値観や、生き方を見つけられ、病気になる前よりは広い視野で生きていけるようになったと思っています。

難病にならなかったら、どうせ他のことで悩んでいたでしょう。

 

難病治療でこころが折れかけていたからこそ、旅行に行って前を向こうと計画していた。旅行当日の再発。

薬が減ってきたタイミングで、私はもう一度九州に旅行に旅行に行くことにしていました。

 

なんという、神様のイタズラか。

と、

ドラマですか?映画ですか?

というようなタイミングでの再発。

 

旅行かばんがそのまま入院セットになりました。

旅行に行って、気持ちを切り替えて、さぁ、次に向けて頑張ろうという気持ちだった時だったので、完全に心を折られました。

この時、CVカテーテルを首から入れる治療をしたことも、気持ちを折っていくのには十分でした。

>>>【首のカテーテルがこわい】右内頚静脈からカテーテルを入れた時の体験談

>>>闘病記を書く意味・意義について、ニャンちゅうの声優の津久井教生さんのブログを見て感じたこと。

 

難病になってからもうすぐ2年。私を支えてくれたものは伴走者

難病になってから、もうすぐ2年。

何度も心をくじかれ、折られ、「もういい加減にしてほしい」と心から思いました。

そう思うけれども、それは私がすごくかわいそうだと思ってはいません。

たまたま悩んでいることが病気のことなだけ。

世の中、みんなそれぞれ何かしらで悩んでいるから。

 

妊活したいひと、したくない人、子どもが欲しい人、欲しくない人、親との関係、仕事のこと、人間関係、生き方・・・

 

私も病気にならなかったら、きっと別のことで、こうやって悩んでいると思うから、別に「病気にならなかったら…」と思わないとは言わないけれども、まぁ、それが特別だとも思わない。

そんなこと考えても仕方ないですし。

 

私にとっての伴走車は、夫だった

病気になっても、ならなくても、私にとって、夫の存在は生きるために本当に必要な存在でした。

特に、難病になってからは、手探りで生活をしてきました。

薬の副作用は何が出るのか、どのくらい強く出るのか、どのくらいの期間でるのかわかりません。くじ引きみたいな生活を毎日毎日続けています。

再発するのかどうかも、原因も分かっていないので、どこでどうやって再発するのかもわかりません。

 

そんな手探りな生活って、
「灯りのない道を一人で歩き続ける」
というギャンブルみたいな人生になっちゃうんですよね。

灯りのない道が、景色が綺麗な海沿いなのか、山の中なのか、街中なのか、どんな場所を歩いているのか今の私には全然わかりません。

でも、灯りのない道を歩く不安の大きさって、側に誰かいてくれるだけで全然違うんです。

 

ほら、肝だめしをした時に、一人で歩くのか、チームで歩くのかによって怖さって違いませんか?

 

同じ病気、同じ薬、似たような治療を行っている気が合う友だちがいるのもいいと思う

同じ病気、同じ薬、似たような治療を行っている人たちとツイッターで出会いました。

よくお話をさせてもらっているのですが、合う合わないもありますし、センシティブな内容。

あんまりガッツリ聞けないし、聞かれるのもしんどい時もある。

軽く言われるのも嫌な時もあるし、あまり心配されるのもしんどい時もある。

自分勝手ですね。ほんとそう思います。

 

適度な距離で、適度に話が合う仲間がいることは、私にとっては救いになることが多くありました。たまに距離が近くなり過ぎて、「しまった」と思うことや、ちょっとしんどい時に私にとってしんどい言葉をもらって「まいった・・・」と、くちゃっとつぶれてしまったことももちろんあります。

 

まぁ、それでも、同じ薬を飲んでいるからこそ、言葉に出来ないしんどさを分かり合えることもあります。それって、思っている以上に心強い。つかず離れずくらいで付き合えるのは、本当にたくさん支えられいます。

一人だと悩んじゃいますしね。

 

その時々に合った伴走者がいるのは、難病患者にとっては大切なこと

ネフローゼになったことのある、小学生の男の子と話をさせてもらった時は、経験談を聞けて、どんなに救われたことか。その時、その時に合った伴走者がいてくれるということは本当に大切です。

 

伴走者は、家族でも、同じ病気の人でも、病院のスタッフでも、その時自分に合った誰かがいてくれると救われるものです。

胸の内を話せる相手や、逆に話してくれる相手がいることは、思っている以上にこころがふっと軽くなります。

 

まとめ:灯りのない道を歩くのであれば、友だちと一緒がいいよね

長々と書いてきましたが、どうせ灯りのない道を歩くのであれば、友だちと一緒がいいですよね。

ということを書きたかったんです。

ずっと、同じ人だと、お互いに重荷になるから、その時々に合った、お互いに負担にならない距離感で。

 

灯りのない道は、空を見上げたらよく星が見えるかもしれないし、風の音が聴こえてくるかもしれない。

 

生き方や、モノの見え方、感じ方がガラッと変わるくらいには、大きな影響がありました。

「難病になってしまった…」と落ち込むだけなんてもったいない。

 

 

今でも仕事をしていないので、落ち込むこともあるけれども、生きていれば楽しいこともあります。

 

このブログも、誰かと伴走者になれないかなと思って始めたもの。

その時その時に、ほどほどの距離感で、自分が心地いい生き方ができますように。

あなたも、いい人生の時間を過ごせますように。

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